誰の人生にも、喜びや感動を与えてくれた言葉、好きな言葉、そして大きな勇気をもらった忘れられない言葉との出会いがあります。
ここでは、そんな生きる力を持ったステキな言葉たちの中から、認知症の母と生活する中で、勇気づけられた言葉や希望となった言葉を中心にご紹介しています。

1.我が家のハッピーワード
2.「ハッピー介護」応援ワード

1.我が家のハッピーワード

結婚後まもなくして認知症となった母と暮らす中では、どうしてもネガティブな感情に襲われることがあります。ここではそんな時に気分を変えたり自分を励ましてくれた多くの言葉たち、ハッピーワードをご紹介しています。
その中でも、特に大きな支えとなって救われた5つの言葉は、「ハッピー介護 5つのキーワード」として大切にしています。

 

ハッピー介護 5つのキーワード

散らかしは「母のお仕事」
トッシー

この言葉が私の頭に浮かんだことで、「トッシーのハッピー介護」は生まれました。認知症の母との生活が、信じられないほど劇的に変わった、最も大切で最も大きな気づきとなった言葉です。
それまでは、母が家の中を散らかしてとても嫌だと思っていたことが、実は「母のお仕事」なんだとめでたく勘違い?した瞬間、すべてが楽しい生活に変わってしまったのです。今から思えば、本当にラッキーでした。

そのことを境に起きた私の気持ちの大変化は、母が他界した2010年に自作のDVD「サンキューベリマッチ・トミスケ『母のお仕事』」に表しています。(YouTubeは2018年)

もし母が散らかしていることを「お仕事」だと思わなかったら、不思議なほど楽しくなったあの2年間の生活はあり得なかったでしょう。そのことを考えると、私の人生で最も大きな変化を起こした言葉、奇跡を生んだ魔法の言葉と言えるかもしれません。

 

お母さんは神様なんだ!
masa 

デイサービスのお迎えが待っているのに、母が思うように動かなくて困っている大声の私を察したのか、別の部屋にいた妻のmasaが聞こえるように言ってくれた言葉が、「toshiさん、お母さんを神様と思ってごらん!」でした。
「そうか、母は神様なんだ!」と珍しく素直にそう思った瞬間、私の意識が変わり、優しい気持ちに・・・。言葉も表情も穏やかに変わったのか、驚いたことに
その直後から母が動きだしたのです。

忘れていけないのは、満足な会話ができない認知症の人でも、目の前にいる人の表情を読み取る能力は大きくは損なわれていないということです。その意味でも、こんな場面での笑顔って本当に大切で効果があるんですね。母の行動は、目の前の私の感情をそのまま反映していたことを思い知らされた出来事でした。
それにしても、よくもまあこんな凄いことをmasaは言うなあ(笑)。そしてそれを素直に受け止めた自分が今でも不思議で、ほめてあげたいです(笑)。


お婆ちゃんからお母さんへ!
masa 

この言葉は、台所で座ったtoshiの少し元気がない様子に気づいたmasaが、それを察して言ってくれた「toshiさん、おばあちゃんという呼び方をお母さんに変えたら?」という言葉から生まれました。
それまでの私は、子供が生まれて以来、母を呼ぶ時は「おばあちゃん」に変わり、ブログに書く時は勿論初めから「おばあちゃん」でしたが、masaはそれらを「お母さん」に変えたら?と提案してくれたのです。早速その日のブログに、今までずっと「おばあちゃん」と書いていたのを「お母さん」に変えて書いてみました。するとどうでしょう? それまでとは全く違う感情が私の心の中に生まれ、なぜか優しくなれたのです。これは本当に不思議で驚きましたね。それ以来、母を呼ぶ時、書く時には、それまでの「おばあちゃん」から「おかあさん」に変わりました。
ちなみにmasaは、結婚以来ず~と変わらず、母に対しては「お母さん」、父に対しても「お父さん」と呼んでいたのです。ある時、どうしてそういう呼び方を続けたの? と聞いた私に対して、masaが言った理由が、「だって、威厳があったり頑張って生きて来たお父さんお母さんを見てきた私は、おじいちゃんやおばあちゃんとは呼べなかったの」というものでした。その思いが、認知症になって人が変わってしまった母に対しても続いていたんですね・・・。

後日、改めてmasaに聞いたところ、私に提案した時のmasaの思いは次のようだったそうです。
「小さい時から自分を大切に育ててくれた母の姿を思い出して、そんな母に感謝して『お母さん』と呼んでみたらどう?」 というもの。以前とは変わってしまった今でも母を大切に思う、優しいmasaの気持ちが込められていたようです。 ブログ「ついてるついてるハッピーライフ!」


お母さんは自分で選んで来た!
masa

これもmasaの「お母さんは、自分で認知症を選んで来たんだよ!」と言った言葉から生まれたものです。
我が家は、両親と私たち夫婦と二人の子供の6人家族でした。そんな家庭で、子供たちをはじめ皆が大きな病気をすることなく事故にも遭わないで暮らせているのは、自らが認知症となってみんなの不幸を一人でしょってくれている母のお陰・・・。私たち夫婦は、そんなことをよく話し合っていたように思います。そのような考え方になった時、いろいろと大変なこともある認知症の母に対しても、もう、感謝の気持ちしか浮かばなかったのです。

母の他界1年後にあの東日本大震災が発生し、その当時よく話題になった言葉に「大受苦者」という仏教用語(本来私が受けていたかもしれない痛みや苦しみを、代わりに受けてくれている人)がありました。その言葉の意味を初めて知った時、認知症になった母トミスケは、まさに「代受苦者」だったんだ! と思えたものでした。
※2011年6月5日に更新した「代受苦者」について書いたブログです。https://blog.goo.ne.jp/himekobo1040m/e/8eee01a3886bef63c2a2df8d6d85a176

 

心配するな! 楽しめ!
 Don‘t  Worry  Be  Happy
Meher  Baba

この言葉は、正確に言えば我が家で生まれた言葉ではなく、結婚して3年後から我が家の居間に掲げてある、思い出深くとても大切なポスターに書かれている言葉です。
このポスターは、出張先で一緒に仕事をしていたイタリアの家具デザイナーと別れる時、彼が大切にしていたこのポスターを私にプレゼントしてくれたもの。彼がイタリアからニューヨクへ渡り、立派な家具デザイナーとして仕事ができるようになるまでの苦労を物語るように、ピン跡がいくつも残る、茶色に変色したアンティークなポスターです。我が家に帰ってからも、彼を真似てプッシュピンで止めただけのポスターですが、実は、masaが、母が認知症になって大変な思いをした時やいろいろな困難な出来事に遭遇した時などに、このポスターを見て励まされたり大きな勇気をもらったりして、masaの支えとなっていたとても大切なポスターだったのです。
この言葉「心配するな! 楽しめ!」は、masaの介護の原点となっただけでなく、その後の我が家の生活を支え続ける大切な言葉として、今も私達を見守っています。

 

ハッピーワード集

「頑張ってますね!」より「お義母さん、幸せそうですね!」
masa

これは、母と一緒にいるmasaの姿を見られた方からいろいろと声を掛けられる言葉の中で、一番嬉しかったとmasaが教えてくれた言葉です。
認知症の母といて大変な場面に出会った方からはいろんな言葉をかけられることが多いのですが、「頑張ってますね」「大変ですね」「よくやられますね」などのmasaにかけられるた言葉よりも、一緒にいる母の様子を見てかけらる言葉の方が嬉しい・・・。なるほど、いかにもmasaらしいなと思いました。
「いくらこちらが頑張っていても、お母さんが嬉しそうじゃなかったらよくないでしょ? だから、お母さんが幸せだと思ってもらえたことが断然嬉しい」 ナルホドなるほど
・・・(笑)。


お母さんの介護ができて、トシさん幸せだよね~。
masa

この言葉を普通に聞くと、???(笑) 介護ができて幸せなんて・・・。
masaから言われた当時はそれ程ではありませんでしたが、今から思えば確かにそう思えます。

1.他人ではない自分の母親の介護であること。
2.自分でしたくてもいろんな事情でできない人がいる。
3.介護職などの仕事としての介護ではない。
4.今問題になっているヤングケアラーでもない。
この中でも今特に共感するのは、2番の理由ですね。私の場合、当時はそうではありませんでしたが、今は右半身に麻痺が残る身。それを考えると、確かにmasaが言うように、「ちゃんとやれた私は幸せだったよね~」(笑)

家に居ながら奥野医院!
父 清雄

我が家の近くに、奥野医院さん(当時)があります。母は勿論、家族みんながお世話になっていたとても素晴らしい開業医さんです。奥野医院さんが近いという恵まれた環境で生活していた私たちでしたが、父が晩年になって骨の病を患い、歩行器を使って何とか自力でトイレへ行けるものの、ほとんどがベッドでの生活になりました・・・。
そんな暮らしの中で父がよく口にしていた言葉が、この「家に居ながら奥野医院!」でした。
いろんなことに家族の協力が必要となる中、父が一番頼りにしていたのが嫁のmasa。そりゃそうでしょう。何と言っても、masaは看護師です。何かにつけて頼りになるのがmasaなんですね。
どんな忙しい時でも笑顔を忘れず一生懸命適切なケアをしてくれるmasaの居る我が家が、父にすれば、まさに奥野医院さんだと思えても決して言い過ぎではなかったのでしょう。とにかく、masaには大感謝です。

んな体になったが、極楽じゃ~!
父 清雄 

父が他界する2年ほど前に、家の前にある竹やぶでの作業中のちょっとした事故によって入院した体験が、父の意識を大きく変えたようです。
軍人上がりだった父は、そのせいかとても厳格で厳しい父でした。自分自身に厳しいのは勿論ですが、他人に対してもそれを求める、ある意味気難しい父でした(笑)。
そんな父が、骨折して入院生活を余儀なくされた3か月間で、次第に大きな変化を遂げて行きます。それまでは何でも自分でやって来た父でしたが、自分だけではどうにもならない現実に直面し、他人のお世話になる自分を徐々に受け入れ認めるようになったなど、とても大きな気持ちの変化が起きていたのです。
3カ月の入院生活を経て家に戻った父で、夫も驚いたことの一つが、ほとんどがベッドでの生活という不自由な身になったにも関わらず、それに対する不平不満を口にしたことを一度でも聞いたことがないということ。何でも自分ででき、活発に活動してきた父からして、とても考えられない大きな変化。このことは、家族にとっては驚きと共に、とても有難いことでもありました。

そんな父が、masaの介助でお風呂の湯船に浸かった際、嬉しそうに何度も口にしたのが、「こんな体になったが、極楽じゃ~!」だったのです。
ベッドの生活になってからはベッドでの楽しみを見つけて前向きに暮らした父の生き方は、私にとっても、見方・考え方を変えて、どんな時でも楽しく生きるための大きな指針となりました。

 

認める、楽しむ、ほめる
トッシー

認知症の母と暮らす中で大切なことはいくつもありますが、中でも「認める」「楽しむ」「ほめる」の3つが特に重要だと思っています。「楽しむ」と「ほめる」については、NHKのクローズアップ現代「しからない介護」の中で取り上げていたこともあり、自信を持ってこのような形で仕上げました。もちろん他にも大切なことはありますが、認知症になられた方も介護される方も、お互いが楽しく生活するために特に有効だと考えていたのが、この3つの言葉だったのです。
双方向の矢印があるのは、1つができればやがて他の2つもできることを表しています。私の場合は、母がやっていた散らかしを「お仕事」だと認めたことが最初でしたが、他の2つについても同時にできていたように思っています。
※詳しくは「ハッピー介護物語」参照

 

見方を変えれば、介護も変わる!
トッシ

2011年になってから始まった、ちょっとした勘違い? から不思議なほど楽しくなった「トッシーのハッピー介護」の講演活動ですが、当初はパソコンではなく、写真を大きくコピーしてホワイトボードに貼りながらお伝えしていました。その中でも必ず掲示してご紹介してきた言葉が、この「見方を変えれば、介護も変わる!」という言葉でした。
お配りしていた資料にも必ず出てくるほど、「トッシーのハッピー介護」の一番の基本となっている大切なキーワードです。

 

見方が変われば、すべてがハッピー!
トッシー

認知症の母に対する見方が変わったことで、それまでとは比べようがないほど楽しい生活に変わってしまった経験から生まれた言葉。実際にはその時驚くほどハッピーになったのは母との生活でしたが、よくよく考えたら、母との介護生活だけでなく、いろんなことがハッピーになったことに気がつきました。
誰かが語っている言葉かもしれませんし、誰もが感じていることかもしれませんが、ここではトッシーの言葉としてご紹介しています。今までの私の人生で物事が好転した時は、そのほとんどが見方が変わった時でした。見方を変えることで自分の感情、行動などが変わることを考えれば、その後の展開が変わることは頷けますよね。

 

見方を変える! これが幸せの第一歩。
本気でその気になれば、自分は変えられる。
トッシー

自分は、そんな簡単には変えることかできない!  これは、誰しもが思う正直な話かもしれません。でも、私は断言します。「自分は変えられる!」と・・・。
このことは、自分の人生で実際に体験して確実に言えることです。但し、正確に言えば、こうなりたいと思ったことが実現するためには、自分が変わることが必要だったということ。そのことが実現できた後で、気がついたら自分が変わっていた・・・ということです。今思っても、自分を変えたいという意識はまったくなく、ただただこうなりたいという強い思いだけがあったことをよく覚えています。
本気でその気持ちを持ち続けた人だけが自分を変えられ、目指す幸せに繋がるということですね。

 

見方が変われば、あなたは変わる!
あなたが変われば、介護が変わる!
トッシ

笑いヨガを創設された、インド人医師のマダン・カタリア博士の言葉に、「あなたが笑うと、あなたは変わる。あなたが変われば、世界が変わる」というものがあります。定年退職直後に笑いヨガと出会った私は、この言葉を知った時、ナルホドこれは確かにすごい言葉だなぁ~と感心したものです。
その約1年後から、笑いヨガと共に自身のハッピーな介護体験のお話しをさせていただく機会に恵まれましたが、この言葉をもじって創った「見方が変われば、あなたは変わる。あなたが変われば、介護が変わる」という言葉が、ハッピー介護の資料に掲載するようになったのはごく自然な形でした。
自分自身が変わったことでハッピーになった体験から言えば、「あなた」は「私」になるのですが、皆さんにも同じような体験をしていただければいいなあ~との思いから、「あなた」としたものです。

 

スイッチを押さなければ、電気はつかない。
トッシー

この言葉は、私が創った言葉ではなく、何かの本の文中に書かれていた言葉だったと思います。これをその文章の中で眼にした時、この当たり前のことではありますが、確かに自分が行動を起こさなければ何も始まらないなあ~と、えらく感動したことを覚えています。
楽しく生活したいなら、楽しくできるように自分にスイッチを入れ、自分を変える行動を起こさなければ何も始まらない・・・。この当たり前のことを再確認させられた言葉です。

 

一人の人間に起きたことは、他の人間にも起きる!
トッシー
これも、ある人の講演会の中で耳にした言葉です。
私が認知症の母と生活する中で突然ハッピーになったことは、間違いなく誰もが体験できることではありませんね。それは十分理解しているつもりです。しかし講演会をしていて、実際に同じような体験をされた方が間違いなくおられることも知っています。
講演会が終わった後で近づいて来られ、「私もトッシーさんと同じ思いで義母を介護しました」と話してくださる方と何名もお会いしてきたのです。それを聞いて本当に嬉しかった私は、それ以来、楽しく介護したり、幸せな介護にすることはできるんだ・・・と言う思いにつながりました。
この言葉を耳にした当時は、まさか自分が講演会をするようになるなど全く思っていなかったのですが、その後恵まれた講演会では、「実際に私と同じような人がいるんだ!」と勇気づけられ、この言葉をお伝えする様になりました。

 

いいとこ見れば、感謝が見える!
トッシー

認知症で人が変わってしまった親を、ネガティブに思ってしまう気持ちも分かります。でもそれは、その人の今の姿だけしか見ていないことがそう思わせている原因でもあるでしょう。
それでも、いいところを探してその人を見てみましょう! それが難しければ、若い頃のことを思い出してはいかがでしょう? 忘れてしまっただけで、思い出せば必ず見つかります。それをしなくて突然楽しくなってしまった私ですが、今振り返れば、母がしてくれたことをいろいろ思い出すだけで、感謝の気持ちが生まれてきます。
認知症になった今の姿だけでなく、今までの生活を振り返って、いいところを探してみてはいかがでしょう? 「感謝」が見え、きっとその方への思いが変って来ることでしょう。

 

半歩の勇気が、あなたを変える
トッシー

何事も行動しないことには変化は起きない。このことは十分知ってはいても、それができないことも実際には多いですね。
ある人の講演で聞いたのが、わざわざお金を払って講演会に来ても、そこで話を聞いて行動まで変える人は多くても数パーセントだとか。また別の人は、「プラス思考本って昔からあるんです。でもそれを読んでみんながプラス思考になるんなら、プラス思考本って、世の中から無くなるんですよ」ですって(笑)。
大事なことは、勇気を出してまずは動き出すこと。それができた人だけが、変われるんですね。

この言葉は、運よく見方が変わったことで世界が全く変わってしまった体験をした私から、あなたにも、少しでいいから勇気を出して自分を変え、そこで見る新しい世界を体験してほしいという思いを込めた言葉です。

 

2.「ハッピー介護」応援ワード

好きな言葉は誰にでもあり、それぞれの人生でなくてはならない存在となっています。
ここでは、認知症の母と暮らす中で特に心に響いた言葉、何度も目にして勇気を得ていた
言葉などを集めました。これらの言葉が、見方を変えるための指針となり、あなたの「幸せな介護」を応援したり支えとなれば幸いです。※「ハッピー介護物語」ページと重複する言葉が含まれています。

 

二人の男が、監獄の窓から外を眺めた。
一人は泥を、他の一人は星を見た。
セルマ・トムソンの父親

この言葉は、後に作家となったアメリカの女性セルマ・トムソンが受け取った、父親からの手紙に書かれていたものです。その手紙には、戦時中、夫の配属地近くへ引っ越したものの、過酷な環境に耐えかねたセルマ・トムソンは、「家に帰る。こんな所にいるぐらいなら、監獄のほうがまだましだ!」と父親に送った手紙の返事が、たった2行のこの言葉だったというものです。
この手紙を何度も読んで自分が恥ずかしくなった彼女は、良いものを探そうと見方を変えたことにより、それまでとはまったく別の世界を発見。その興奮した体験を基に小説を書いて後に作家となったという感動の実話で、デール・カネギー著「道は開ける」に紹介されています。

あるセミナーの講師からこの言葉を教えていただいた時、既にハッピーになっていた私はこの言葉の意味に深く納得!  以来、この言葉を講演会の中でも紹介するようになった大好きな言葉です。セミナーでは、この2行の言葉が書かれたセルマ・トムソンの文章を朗読されましたが、講師はその用紙を毎日カバンに入れて持ち歩き、繰り返し繰り返し読むことで、苦手だったプラス思考になることができたと自身の若い頃の体験をお話されていました。
※セルマ・トムソンの文章ダウンロード!

 

この地球上の生物のうち、
人だけに、習慣を変える力がある。
人だけに、自らの運命をつくりあげる力がある。
我々の世代が体験した最大の革新的発見は、
人は心のもちようを改めることにより、
人生のありようを変えることができる。
という事実である。

ウイリアム・ジェームス(アメリカを代表する哲学者・心理学者)

 

心実
「幸」も「不幸」も存在しない。
そう思う自分の心があるだけ。
小林正観

この言葉も、何度何度も頭の中で繰り返された言葉の1つです。私が体験した認知症の母との生活が楽しくなった話を伝えるのに、この言葉は持って来いの言葉。あとは自分がどう思うかだけ・・・。
この言葉を見る度、自身の体験から「そうだよね、ホントにそうなんだよね~!」といつも納得しています(笑)。
ということから・・・。

全ては自分! 自分次第!

という小林正観さんのこの言葉も、いつも自分に言い聞かせています。

 

人生のすべては 自分の心が映し出す
稲盛和夫

これまで歩んできた80余年の人生を振り返るとき、そして半世紀を超える経営者としての歩みを思い返すとき、いま多くの人たちに伝え、残していきたいのは、おおむね一つのことしかありません。それは、「心がすべてを決めている」ということです。
人生で起こってくるあらゆる出来事は、自らの心が引き寄せたものです。それらはまるで映写機がスクリーンに映像を映し出すように、心が描いたものを忠実に再現しています。
それは、この世を動かしている絶対法則であり、あらゆることに例外なく働く真理なのです。
従って、心に何を描くのか。どんな思いをもち、どんな姿勢で生きるのか。それこそが、人生を決めるもっとも大切なファクターとなる。これは机上の精神論でもなければ、単なる人生訓でもありません。心が現実をつくり、動かしていくのです。(サンマーク出版「心」より)

 

心は、創造の達人です。そして、私たちは心であり、思いという道具をもちいて自分の人生を形づくり、そのなかで、さまざまな喜びを、また悲しみを、みずから生み出しています。私たちは心の中で考えたとおりの人間になります。私たちを取りまく環境は、真の私たち自身を映し出す鏡にほかなりません。
ジェームズ・アレン(「原因と結果の法則」より)

 

今が最高の喜びの時
望月幸義(麗澤大学名誉教授)

幸せは未来にあるのではなく現在あるべきと考える。 

 

そう思えば、そうなる。
船井幸雄

ある講座の懇親会で、「私はなかなか右脳が開発されませんが、どうしたら開発されるでしょうか?」という私の質問に答えられたのが、この一言。(笑)
その時は一瞬???でしたが、今は「そうかもしれないな・・・」と思うようになりました。
何事もそうですが、その思いの強さ、実現まで思い続けるエネルギーが必須のようですね。