心配するな! 楽しめ!
お久ぶりです。masaです
この写真はtoshiのお気に入りのポスター「DON´T WORRY BE HAPPY(心配するな、楽しめ!)」です。
「心配するな! 楽しめ!」は、このポスターのタイトルからいただきました。
今年の11月で私たちは、結婚30年になります。 今までいろいろな事を夫婦で乗りこえて来ました。
その都度、私はこのポスターに癒されてきたのです。
そういう時の一つに、母のことがあります。
今振り返ると、初めから私たち家族が、母に対して今のような気持ちで接することができたわけではないと思います。
このブログで、そんな私たちが母とどう向き合ってきたのかをご紹介することによって、認知症の介護で途方に暮れ、悩んでいる方の一助になればいい と思っています。
今日は、今に至るまでの出来事をご紹介いたしましょう。
「認知症で良かった!」
母は、今から20年ほど前ある事をきっかけに、人に会うことが億劫になり、『老人性うつ病』になっていきました。
この頃が、母にとっても家族にとっても、一番つらかった時期だと思います。
母は皆で夕ご飯を楽しく食べていると、急に「死にたい! 死んでやる!」と言いながら、寒い冬空に毛布を持って家を飛び出してしまうこともありました。また、急に「えらい! こんなに辛いのに病院に連れて行ってくれないなんて!ひどい!」と泣きだしたり・・・・。 みるみる人が変わっていきました。
そんな時、近くの開業医の先生にどれだけお世話になったことでしょう。
先生の前に行くと、「あー、楽になった。先生の顔を見ただけで治ったわ」と言ってハハハハハと笑う母に、私は戸惑い、「これからどうしよう!」と・・・。
このようなことが続いた時、先生はこの状況をすぐにキャッチしてくださり、脳の精密検査を受けるように勧めてくださいました。
脳のMRIの結果、「生命維持に関する部分は何ともないですが、脳全体に米粒ほどの小さな脳梗塞がぎっしりありました。脳血管性認知症です」と医師からの説明があったのです。
正直言って『あー良かった! 脳血管性認知症で良かった』と思いました。
母の急な行動を見ていると、「脳腫瘍だったらどうしよう・・・。余命いくばくもないと言われたらどうしよう・・・」「人を信じられなくなり苦しむ母を見てきたので、このまま終わらせたくない!」と思っていました。
ですから先生の説明を聞いた時、「あ~、認知症でよかった!」と嬉しさのあまり涙があふれてきたことを思い出します。
今思い出しても、涙が・・・。(笑)
※ 当時の表現「痴呆症」を、「認知症」と改変して記載。
その時も、このポスターのおじさんを見て、随分癒されました。
心配するな! 楽しめ!
これが私の介護の原点です!
母とどう向き合ったのかは、『私たちの宝
』です。
この一つ一つのストーリーは、母の幸せに繋がるものですが、私たちの『人としての成長』にもなったと思っています。
そして、ご近所をはじめ介護に関わってくださる施設の方々、親戚の方々の温かい言葉など、数え切れないほどの人たちに助けてもらいながら、今こうして母を家で看ることができることに、とても感謝しています。
認知症である母に深く感謝しています
机上の空論ではなく、私たちが実際に体験した話だから・・・。
心配するな! 楽しめ!
少しづつご紹介していきますね
我が家の泣き笑い感動ストーリー・・・
・エー! 卵が100個 並んでいる!
・マッサージ機が2台届いた(笑)
・椎茸が鍋いっぱい!
・豚汁という名のおでん
・移動図書館
・トミスケはじめてのパチンコ
・ヨーグルトの不思議なお話
・何回聞いても、はじめてを演じてね
・物忘れの苦しさ
・toshiが石を投げた事件!
・育たないパプリカ
・危険だった頃 ~燃える鍋ちゃん~
・ものさがし クイズでおまかせ
・孫たちにたくす。逝く父の気持ち・・・
・トミスケ骨折
・ラップの金具がなくなる事件
・夜中3時の徘徊!
・生んだ赤ちゃんが・・・
・「おばあちゃん」ではなく、「おかあさん」と呼ぶわけ
・認知症に感謝!
・ゆずり合う食卓
・あっ パンツが!
・ゴミ箱から宝物
・ハッピー? ハッピー!
・トミスケとの旅
・リハビリ担当 トミスケ
などなど・・・。
数えきれないストーリーがいっぱいあります。
これらを、母の尊厳をもってご紹介しようと思っています
お読みいただき、ありがとうございました。 (masa)
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母トミスケが生きた時代は男尊女卑の時代で、女性、その中でも嫁は一番我慢をする立場で、良妻賢母が女子教育の基本理念となっていました。
そんな時代に生きたトミスケは、竹内孝仁先生の「竹内理論」によれば「回帰型」に属する認知症に当てはまり、良妻賢母として家族を支えていた時代のトミスケの感情が、時々色濃く表れることがありました。
そんな母の感情が伺える、ある日の夕食時のストーリーです。(masa)
第3話トミスケ骨折!
「ワッ! トミスケ、転倒!!」 でもそんな時の母は、歳の割に俊敏な動きができたおかげで、手首の骨折だけで済みました。しかし、病院で手当てをして帰宅してからが愉快なストーリーの始まりです。
何と、ギブスから取り出した綿を、パクッと口の中へ。(笑)
さて、この後、どんな展開をするのでしょう・・・。
todhiが最後に会社を出ようとした時、「ガサガサッ!」という音を聞いて思ったのが、「もしかして幽霊?」(笑)
そんな話を帰宅後masaに話して分かったのが、実はそれは地震だったということ。
toshiより早く帰宅して母と一緒に過ごしていたmasaが、その地震の揺れに気がついた時に思わずとった行動とは? そして、そのことから思い出したmasaの「お母さんの優しい手」とは・・・?
「私がボケたら施設に入れてね。みんなに迷惑かけたくないから・・・」と寂しそうな顔をして母が言っていた頃のお話です。
母が忘れっぽいことを悔やむようになったある日、廊下に並んだ100個の卵を見たmasaはビックリ!
「masaちゃんが卵を買って来てって言ったから買っておいたからね」と話した母に対して、masaがまず口にしたのは、「お母さんありがとう」だった・・・。
介護する家族にとって、支えになって頑張れるものって、なんでしょう?
masaが以前話してくれたことで印象に残っているのが、他人からかけられた言葉で嬉しかったのは、「頑張ってますね」ではなく、「お義母さん、お幸せそうですね」だったとか・・・。
いかにもmasaらしい言葉だなと感心したことがあります。masaはその他にも、こんなことでも嬉しくなっていたようです。
テッセンという花が好きだった母ですが、いつしか頭からはすっかり忘れられていました。masaが昔、母の口から好きな理由まで聞かされていた大好きなテッセンでしたが、今はその花を見せても、「なに~、これ何?」とけげんな表情になるだけ・・・。
いつまでも同じ毎日が繰り返されると思っていたmasaですが、認知症の母から、その瞬間その瞬間の「今」がとても大切なことを学びます。
母のお気に入りの一つが、ドラえもんのぬいぐるみです。お気に入り?と思われているこのドラちゃんでも、時には食べられることも。(笑)
認知症になった母が一人で家にいる時、こういった可愛いぬいぐるみの存在が、母だけでなく私たち家族にもとても大きな癒しとなっていることは確かです。
母トミスケがちょっと元気のない日の、そんな風景です。
家の前の坂で転んでも、大きな怪我などほとんどしたことがない母。もちろん、家の中でもそれは同じです。母はそんな時でもびっくりしたり慌てたりなんかしません。不思議と平静で落ち着いているんです。(笑) まっ、それが認知症というものかもしれませんが、まるで母は何かに護られているようです。
ある日の夜、急に家に帰りたくなったmasaが急いで帰宅して目にした光景は?
認知症の人の行動にも、必ずその人なりの理由があります。母の行動を見ていても、そのことがよく分かります。それを理解しないと、ただおかしい、不可解な行動…で終わってしまいますね。
ある日の深夜、「ワーン!ワーン!」という泣き声で起こされたmasaが、母の言葉に思わずゾ~ッ! 我が家の特別な日にアップされた、笑えないけど笑える、真夜中の楽しいストーリーです。
〝認知症の人にはいい刺激が必要〟とはよく聞く言葉です。そのことを母にも感じたmasaが考えた刺激が、ナント! 母をパチンコに連れて行くことでした。(笑) 連れて行かれる母はまったく知らない世界。一方、連れて行くmasaはといえば? ナントこちらも2回ほどしか経験のないほぼ知らない世界です。
そんな二人が繰り広げたパチンコ店での珍道中は、驚きの展開に・・・。
元気に動き回っていた父でしたが、晩年になって「多発性骨髄腫」という大変な痛みを伴う病になりました。多くの医療者のお世話になった病院を退院して、いよいよ自宅で家族との生活です。そこで大活躍?したのが、妻のトミスケでした。(笑)
認知症のトミスケとで繰り広げられる愉快な生活ですが、父の病状を和らげる助けになったのが、認知症ならではのトミスケの存在でした。
第13話 世界一幸せと感じた感動の連続! 定年退職ツアー その1
toshiの定年退職を祝ってmasaが企画した「toshiさんお疲れ様会」。参加したのは、私と母トミスケ、そしてmasaの3人。
10年ほど前に父が他界して以降、子供たちと出かけていた旅行にも、必ず母を連れて出かけていました。
母と出かける旅行は、いつも愉快な珍道中。(笑) それが今回は、今まで経験したことがない大きな感動の、忘れられない旅行に・・・。
第14話 世界一幸せと感じた感動の連続! 定年退職ツアー その2
「toshiさんお疲れ様会」その2です。用意された素敵な部屋に入って喜ぶ母の姿を見て、「あ~、ここへ来て良かったなあ~!」とつくづく思ったものでした。
実は今回の旅行では、それ以上に嬉しいことがいくつも用意されていて、その極め付きが、masaが語った夫への感謝の言葉。それを聞いて目がウルウル、感動感謝嬉し涙の私でしたが、その時の母の様子は全く覚えておらず、後で聞いたその時の二人は・・・。
第15話 母と行く旅は、いつも感動がいっぱい! 定年退職退職ツアー最終回
母と一緒に出かける旅行では、いつも感心することが起こります。認知症の母と接しているmasaの姿に感動された人から、よく声をかけられるのです。実は私自身も以前旅先で見た家族の姿に感動し、それまでの自分を反省してその後の旅行について誓ったことがありました。旅先では素直な自分になれる何かがあるようです。(笑)
以前、子供を連れて4人で出かけた旅先で私が誓ったこととは・・・?
5人で訪れた、大好きな河口湖の旅館で展開されたとても愉快なお話です。認知症の母と行く旅はいつも大変、珍道中! この日も始まった深夜の行動に、運転疲れのtoshiは何が起きても関係なしとグッスリおねんね…。(笑)
そんな真夜中に展開された騒動で、一人対応に追われるmasaを助けたのが二人の娘でした。
認知症の母との旅行は、大変な反面、子供の成長に気づく嬉しい場ともなりました。
masaのリードで家族みんなで取り組んだことの一つに、「失敗した後に落ち込ませない」「悲しい思いをさせない」というものがあります。特に、忘れっぽくなって自分の行動を悔やむようになった母には、これができるかどうかで、その後の展開に大きな違いが出てきます。
ある日玄関を開けてビックリ! そこには、ヨーグルトを入れる箱とその製品を持った女性が、なんと3人も立っていたのです。
母の認知症がホントに進んだなあ~と感じる頃の、愉快な?エピソードです。
仕事から帰ったmasaが、甘辛い匂いのする台所へ行って大きな鍋の蓋を開けてビックリ! ナントそこには、水で戻された〝干しシイタケ〟が鍋いっぱいに・・・。
母の奇行でパニックになったmasaが、気分を落ち着かせるためにいつも実践していたユニークな方法や、認知症の人に接する時の心得も書いています。
認知症が進みモノが消えることが多くなると、masaの対応にも余裕が出て探す時もクイズ感覚!(笑) そんな姿を見た娘たちは、「お母さんは楽しんでるみたい」と…。それでも予期しないことが起きると、やっぱりmasaは「ギャァー!」(笑)
ある日、「豚汁を作っておいたからね!」と言った母が作った料理は、豚汁とは名ばかりの〝おでん〟(笑)。
その時の家族みんなは…?
母が他界して2年後に更新された記事で、三回忌法要を前にして母の衣類を片付けようとしたした時の、母への想いが書かれています。
母の残した衣類を手にしたmasaはいろんなことを思い出すのか、何度も何度も私のところへ来ては声を出して泣くのです。
そんなmasaは気を取り戻して再び片づけを始めるのですが、そこで不思議な体験を・・・。
以下は、masaの資料にタイトルだけ残されたストーリーで、最近になって投稿されたものです。
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第21話 ゴキブリ団子、スプーンで完食!
認知症の症状である「異食」のお話です。
masaの勤務中に母がゴキブリ団子を食べてしまった際に展開されたお話で、家にいた娘から連絡を受けたことで始まった、笑えないけどやっぱり笑えてしまう愉快なお話です。
(2021年1月5日更新)
NEW STORY!
第22話 「お婆ちゃん」ではなく「お母さん」と呼ぶワケ
認知症になって人が変わってしまった親に対しての思いや見方次第で、楽しくも苦しくもなる・・・。そんなことを体験したことの一つが、このストーリーです。
トッシー自身が母に対する気持ちを大きく変えた、「お婆ちゃん」ではなく「お母さん」と呼ぶことを提案したmasaのそのワケとは・・・。
(2021年1月10日更新)
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第23話 育たない パプリカ
カカラフルなパプリカに育つことを楽しみに熱心に水やりに励んだmasaの甲斐あって、まだ緑色とは言え大きな丸いパプリカがいっぱいできました。これはさぞかし色鮮やかで栄養のあるパプリカができると喜んだmasaでしたが・・・。
(2021年1月15日更新)