
心配するな! 楽しめ!
お久ぶりです。masaです。この写真はtoshiのお気に入りのポスター「DON´T WORRY BE HAPPY(心配するな、楽しめ!)」です。「心配するな! 楽しめ!」は、このポスターのタイトルからいただきました。
今年の11月で私たちは、結婚30年になります。 今までいろいろな事を夫婦で乗りこえて来ました。その都度、私はこのポスターに癒されてきたのです。
そういう時の一つに、母のことがあります。今振り返ると、初めから私たち家族が、母に対して今のような気持ちで接することができたわけではないと思います。
このブログで、そんな私たちが母とどう向き合ってきたのかをご紹介することによって、認知症の介護で途方に暮れ、悩んでいる方の一助になればいい と思っています。
今日は、今に至るまでの出来事をご紹介いたしましょう。
「認知症で良かった!」
母は、今から20年ほど前ある事をきっかけに、人に会うことが億劫になり、『老人性うつ病』になっていきました。
この頃が、母にとっても家族にとっても、一番つらかった時期だと思います。
母は皆で夕ご飯を楽しく食べていると、急に「死にたい! 死んでやる!」と言いながら、寒い冬空に毛布を持って家を飛び出してしまうこともありました。また、急に「えらい! こんなに辛いのに病院に連れて行ってくれないなんて!ひどい!」と泣きだしたり・・・。みるみる人が変わっていきました。
そんな時、近くの開業医の先生にどれだけお世話になったことでしょう。
先生の前に行くと、「あー、楽になった。先生の顔を見ただけで治ったわ」と言ってハハハハハと笑う母に、私は戸惑い、「これからどうしよう!」と・・・。
このようなことが続いた時、先生はこの状況をすぐにキャッチしてくださり、脳の精密検査を受けるように勧めてくださいました。
脳のMRIの結果、「生命維持に関する部分は何ともないですが、脳全体に米粒ほどの小さな脳梗塞がぎっしりありました。脳血管性認知症です」と医師からの説明があったのです。
正直言って『あー良かった! 脳血管性認知症で良かった』と思いました。母の急な行動を見ていると、「脳腫瘍だったらどうしよう・・・。余命いくばくもないと言われたらどうしよう・・・」「人を信じられなくなり苦しむ母を見てきたので、このまま終わらせたくない!」と思っていました。
ですから先生の説明を聞いた時、「あ~、認知症でよかった!」と嬉しさのあまり涙があふれてきたことを思い出します。今思い出しても、涙が・・・。(笑)
※ 当時の表現「痴呆症」を、「認知症」と改変して記載。
その時も、このポスターのおじさんを見て、随分癒されました。
心配するな! 楽しめ!
これが私の介護の原点です!
母とどう向き合ったのかは、『私たちの宝』です。この一つ一つのストーリーは、母の幸せに繋がるものですが、私たちの『人としての成長』にもなったと思っています。そして、ご近所をはじめ介護に関わってくださる施設の方々、親戚の方々の温かい言葉など、数え切れないほどの人たちに助けてもらいながら、今こうして母を家で看ることができることに、とても感謝しています。
認知症である母に深く感謝しています。机上の空論ではなく、私たちが実際に体験した話だから・・・。
心配するな! 楽しめ!
少しづつご紹介していきますね。
我が家の泣き笑い感動ストーリー・・・
・エー! 卵が100個 並んでいる!
・マッサージ機が2台届いた(笑)
・椎茸が鍋いっぱい!
・豚汁という名のおでん
・移動図書館
・トミスケはじめてのパチンコ
・ヨーグルトの不思議なお話
・何回聞いても、はじめてを演じてね
・物忘れの苦しさ
・toshiが石を投げた事件!
・育たないパプリカ
・危険だった頃 ~燃える鍋ちゃん~
・ものさがし クイズでおまかせ
・孫たちにたくす。逝く父の気持ち・・・
・トミスケ骨折
・ラップの金具がなくなる事件
・夜中3時の徘徊!
・生んだ赤ちゃんが・・・
・「おばあちゃん」ではなく、「おかあさん」と呼ぶわけ
・認知症に感謝!
・ゆずり合う食卓
・あっ パンツが!
・ゴミ箱から宝物
・ハッピー? ハッピー!
・トミスケとの旅
・リハビリ担当 トミスケ
などなど・・・。
数えきれないストーリーがいっぱいあります。
これらを、母の尊厳をもってご紹介しようと思っています。
お読みいただき、ありがとうございました。 (masa)
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今ごろ、天国で、祖父は父に対して「お前たち夫婦の気持ちが痛いほど分かっていたので、だまされたふりをしていたんだぞ。特にトミスケの喜ぶ姿を見ることが楽しくて・・・、嬉しくて・・・。あの嫁は優しい子だったからな」と親子で語り合っているのでは?(笑)。
そして、トミスケは今、子供たちに対しても同じことをしています。
子供たちが喜ぶ姿が見たくて・・・。
自分が食べなくても・・・。
明治、大正生まれの女性は、どんな時も自分のことはさておき、愛する人のために尽くし抜いた感じがします。
母は認知症になって、食べる楽しみが増した気がします。「おいしい」「しあわせやわ」 と言って食べている姿を見て、こちらが幸せな気持ちになります。そんなトミスケは、時々食事中に私たちに向って、「これ食べやあ~、おいしいで食べやあ~」と大好きな食べ物をくれます。
はじめの頃は、「お母さんの分だから安心して食べればいいよ」と言っていましたが、ある時からとりあえず「ありがとう じゃあいただくわ」と言うようにしました。すると、本当に嬉しい顔をして、「うっれしい!」と満足げです。そして、先ほど母から受け取った物を別の角度から差し出す(笑)と、それは満面の笑みで、「私それ欲しかったんよ 嬉しい」と大はしゃぎ。
それはそれは可愛いひと時です。
我が家では、こんな「ゆずり合う食卓」で大いに盛り上がります。
お世話になっている施設では、隣の方の食事まで拝借してしまうこともあるようですね。他にも、もっといろいろあるんでしょうね・・・。
施設の皆様方には、いつも感謝しております。
本当にありがとうございます。
「我が家の泣き笑い感動ストーリー」第2話をお読みくださってありがとうございました。(masa)

こんにちわ masaです。今日は6年前の『トミスケの骨折』について書きます。この写真を見て、この頃のことが鮮やかに甦ってきました(笑)。左手は骨折 右手は 何をしているところでしょうか?
この光景を見て、『凄い』 と思って、シャッターを切りました。
認知症になって、私たちのことも分からない状態だった頃・・・。この表情といい、指先の表現力といい、抜群だと思いませんか?(笑)
母は元気なころから、お茶目で人を楽しませることが大好きな人でした。昔の女性は自分が楽しむことより、人様を楽しませることを生きがいにしていたのではないかと思います。
そんな母は、娘たちと遊ぶことや、外孫が遊びに来てくれることを、首を長くして待っていたように思います。
そして何より、『お祭り好き』だったのです。
この日はtoshiが、地元の阿波踊りグループ「若あゆ連」で締太鼓を叩くということで、お世話になっていた施設から夏祭りを見せるために連れ出した日でした。
出立ちが違うこともあって、案の定、toshiのことは分かりませんでしたが、toshiはまさかトミスケが来てくれるとは思っていなかったため、すごく感激していたことを思い出します。
何も言わなくても、この写真が物語っていますよね。
認知症の母にとって、『骨折』はパニックの始まりでした(笑)。
母が転んだ後すぐに手を見て、「あっ 折れている・・・」
次の瞬間、「足じゃなくてよかった」
足だったら動けない=パニック=認知症の悪化、と思いました。
母の年齢で転ぶと、ほとんどの人は足の骨を折るのですが、運動神経の良い人はとっさに手をつくのです。トミスケは若い頃、ナント『バスケットボール』をやっていたんです。そんな運動神経のおかげで、手首の骨折だけですみました。 よかったよかった 母の運動神経に感謝です。
しかし、病院でギプスを巻いて帰宅した直後から、ストーリーは始まりました。家に帰るや否や、必死な顔でギプスの石膏と皮膚の間の綿を引っ張り出していました。「お母さん、その綿出しちゃだめだよ」と声をかけるのですが聞こえていません。次の瞬間、その綿をパクッと口に入れている姿には驚きました(笑)。
私はその時、「お母さん、プリン食べようか?」と言うのがやっとでした。(笑)
そして、プリンを食べ終わった直後・・・。母はまだ少し暖かいギブスの端に指を入れて、石膏をちぎり始めているのです。それは凄い力で、あっという間に肩側が5㎝ほど剥がれてきていました。正確に言うと、ちぎり取られていたのです。(笑)
このままだと朝までにギプスは悲惨な事になっていると思い、手がスッポリ隠れる日よけの手袋を買ってきて、左手にかぶせて暑い夏の夜を過ごしました。もちろん朝には手袋はどこかへ行ってなくなっていましたが、ギプスの被害は最小限で済みました。(笑)
そして、朝は手をビニール袋に包んでお風呂に入ってもらいましたが、急に砂糖袋1~2㎏ほど重くなった左手に戸惑っている姿に、「可哀そうに・・・。今の状況がつかめない分パニックになちゃうだろうな」と思いました。
夜はどうしても行動が活発になりますので(笑)、夜だけは、シャツに手袋を縫いつけた新式(笑)の衣服を開発して何とかしのぎました。
ギプスを取ることがなくなったある日、ギプスが巻いてある部分が痒いと言われるので、菜箸で掻いてあげた事が悪夢(笑)の始まりでした。初めは菜箸から始まりましたが、次はフォークとなり、そのまた次は隠してあったパン切ナイフをギプスに突っ込んでいるところを見て、声が出ず呆然と立ちすくんでしまいました。幸いにして出血することがなく、本当にありがたかったです。
このような状態になり、ギプスが取れるまで施設にあずかってもらう事にしました。この時、施設の皆様にどれだけ助けられたか分かりません。心から感謝しています。
この写真は、その時入所していた施設から、夏祭りを見せるために連れ出した時のものです。
いいお顔していると思いませんか?
パン切ナイフをギブスに入れた人になんか、とても思えませんよね。(笑)
トミスケは、どんな時も『心配するな!楽しめ!』を教えてくれます。
この母トミスケに、感謝です。
お読みいただきまして、ありがとうございました。 (masa)

いつもありがとうございます。今日はちょっと楽しいお話ですよ。写真は、勿論「母のお仕事」で、タイトルを付けるとしたら、「ワァ~怖いよう~。ブルブルだよ~!」 かな?このブログでは珍しく、話の内容とちょっとは合ってるかも・・・。昨日は会社を出る頃には誰もおらず、私一人でした。さあそろそろ帰ろうかな、と思っていたちょうどその頃、「ガサガサッ!ガサッ!」 という誰もいないはずの静かな職場に不思議な音が響きました。
あれっ?今の音、何だろう?もしかして幽霊?
なぁ~んちゃって! ほんとは怖いくせしてなんとも頼もしいtoshi! 少し経ってまた気味の悪そうなガサッ!という音が・・・。ついに幽霊とご対面かな?と本気でそう思いました。
よ~し、明日みんなに話してやろう。みんな驚くだろうな。
「ねっ!幽霊ってホントにいるんだよ。実は昨夜ねぇ~・・・」
そんなことを考えて会社を出ました。あっ、そうそう。トイレ結構行きたかったけど、我慢して帰って来ちゃった・・・。
家に着いたら、ちょうど妻も帰ったところで車から出てきました。妻は一旦家に来てから買い物に出かけたようです。妻は開口一番、
「今日、地震あったでしょう。ねえねえ、私お母さんと一緒にいて、その時どうしたと思う?」
「えぇ~? 地震? あれは地震だったのかぁ~」
何のこったない。私が幽霊と思ったのは地震だったんだ! あぁ~良かった良かった幽霊じゃなくって。お得意の勘違いかぁ~。
さぁ~て、妻がとっさに取った行動は何だったと思いますか?
何と、そばにあった座布団を手に取り母の頭上に差し出して、母をかばったそうです。いやぁ~、さすが我が妻、大したもんです・・・。
その話を聞きながら思い出したのが、だいぶ前に聞いたことがある、「お母さんの優しい手」という感動のお話でした。大垣市民病院で本当にあったお話のようで、確か子供さんが気分悪くなって食べ物をはいた時、お母さんがさっと両手を出してそれを受け止めてくれた・・・というお話だっと記憶しています。
それを妻に話したら、すかさずこんな言葉が返ってきました。
「あっ、そういうのなら私もあるよ! お母さんのウンチがポロッと落ちそうになった時、思わずさっと両手を出して見事に受け止めちゃったよぉ~! はははっ!」
へぇ~、凄いなぁ~! どんな場面か忘れちゃったけど、トイレではなかったんでしょうね。そういえば、昔聞いたことあったなぁ~。
う~ん、masaはやるね! 凄いな! 有難いね! 感謝だね!
トミスケとtoshiは、ほんとに幸せもんです。
母は今日もデイサービスでお世話になります。本当にいつもありがとうございます。お陰でみんな幸せです。
さあ~、今日も笑顔で顔晴りましょうかぁ~!
お読みいただき、ありがとうございまぁ~す。 (toshi)

お久しぶりです、masaです。いつもtoshiのブログを見て、「うんうん」「そうそう」と思い、少年のような(笑)toshiらしい文面にクスッと笑ってみたり、涙が出たり・・・、と忙しいです。(笑)
今、認知症の介護に困っている方へ・・・。
今日は、我が家の泣き笑い感動ストーリーをお届けします。
以前も書いたように、母は脳梗塞からくる老人性うつ病から認知症に変わっていきました。
母は、認知症という状態になるまでが苦しかったと思います。
その症状の多くは、ひどい物忘れが占めていたように思います。
母は時々めそめそと泣いたり、忘れっぽくなった自分に腹を立てたり、忘れっぽいことを他人から(特にスカタラン夫から)指摘されると、(笑)「どうしてこんなに忘れっぽくなったやろ? 嫌になっちゃうわ! 私がボケたら絶対に施設に入れてね。みんなに迷惑かけたくないから・・・」と言って、寂しそうな顔をしていたことを思い出します。
その頃の母は、同じことを繰り返す時期を経て忘れっぽいことを悔やむ時期でしたので、いかに自暴自棄に陥ないよう周りがテンションを上げて(笑)、母に悲しい思いをさせないようにしていました。
日中は父と母の二人だけ・・・。
厳格な父にとって母の物忘れは腹立たしいもので、どれほどつらく悲しいものだったか計り知れません。
父はある時言いました。「若い時から苦労ばかりさせてきたから、子育てが終わって子ども達が結婚してやれやれこれからだと思っていたのに・・・、上手いこと行かんな。 あげくの果てにボケちゃうなんてなあ・・・」と。
私は、弱音をはく父の姿を初めて見ました。
年老いた父は、身を粉にして家族の為会社の為に働いてきた人だからこそ、その言葉の重みや深さがひしひしと伝わってきます。
今、思い出しても、父の涙は可哀そうでたまりません。
実は、初めから私達も、今の様に接することができた訳ではありません。
ハプニングに戸惑い、オロオロと思うこともいっぱいありました。
そんな時、つぎのような家族で決めごとをすることにしたのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
同じ話を聞いても「さっき聞いた!」と言わないで、何度聞いても初めて聞いたように接すること。
感情のコントロールできなくなったら、その場を離れ気分転換をすること。
間違いを指摘しないこと。
否定しないこと。
母が、「私は幸せ」と思えることを一杯すること。
これらの決めごとは、母と接する時にいつも大切にしていることばかりです。
母と接していて振り返ると、認知症の経過はいろいろな時期に分けることができます。(一般的ではなく、トミスケのストーリーでは、ですが)
この忘れっぽいことを悔やむ時期が過ぎると、今度は、忘れた事を忘れる時期に突入したように思います。
この時期は、特に買い物を忘れてしまうことが多く、卵、マッサージ機、ヨーグルトなど、それぞれに様々なストーリーがあります。(笑)
そこで、今日お届けするストーリーは、
第5話、「エ~! 卵が100個 並んでいる!」です。
それは、やっと暖かくなった春のことでした。
仕事から帰って来ると、びっくり! 袋に入った卵が100個ぐらい行儀よく廊下に並んでいるのではありませんか。
その光景を想像してみてください! きっとtoshiなら「想像できな~い」と言うと思いますが。(笑)
私は正直、目が点でした。
そして次の瞬間、笑いのツボに入ったようで、涙を流しながら笑いこけたのです。
だっていろいろな事を想像したら・・・。
その卵は、家から1km程離れたところにある養鶏場から買って来たものでした。何度も足を運ぶ母の姿や、卵を何度も買いに来る母と養鶏場の人とのやり取りや、何より廊下に並べる時の母の気持ちを考えると・・・。
もう、おかしくておかしくてたまりません。
早速ご近所に「頂きものをしましたので」と言いながら・・・。
人様には絶対に言えないけれど、笑いのツボのおすそわけをしたのです。(笑)
その時の母に聞いてみました。この卵どうしたの?と。すると、
「masaちゃんが卵買って来てって言ったから買っておいたからね」との返事に、
「お母さんありがとう」と言った後、自分で自分を褒めました。
「あんたはエライ 素晴らしい」と・・・。
このめでたさが、ポイントです。(笑)
母が認知症であることは、私たちが、人として大切な何かを学ぶ機会を与えていただいている、という気がしてなりません。
母の認知症でご縁をいただいた方々から、いろいろ学ばせていただいております。
また、このブログも大きな励みになっていると思います。
こうして 皆さんに支えられている毎日に、とても感謝しています。
toshiの6月3日のブログが良かったので、再登場!
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ため息一つで、寿命が1年縮む。
笑い一つで、寿命が1年伸びる。
あなたの寿命は、あらかじめ決められています。
でも、毎日変動しています。
今日、何かに感動した。それで、1年伸びました。
今日、何かに腹を立てた。それで、1年縮みました。
今日、何かに大笑いした。それで、1年伸びました。
今日、何かでため息をついた。それで、1年縮みました。
今日、誰かに感謝をした。それで、1年伸びました。
今日、誰かの悪口を言った。それで、1年縮みました。
今日、プラスマイナス、何年ですか?
中谷彰宏著 「中谷彰宏 名言集」より
・・・・・・・・・・・・・・・・・
答えは、すべて自分が持っているんですよね。
目の前のことに対して、いかにプラスに考えるかが大切だと思いますね。
お読みいただき、ありがとうございます。 masa

今日は、ミッキー についてお話します。いつも登場するこの ミッキー は、6~7年ほど前に母の妹さんから頂いたものです。特に妹さんは、母が認知症になってから、いつも気をかけてくださる方です。
masaは単純なので、こんな温かい言葉にハッピーになり、ますます嬉しくなってしまいます。
ある方が、介護者の意欲についての研究で、
「いくら大変な状況であっても、誰かに分かってもらっている、誰かに認めてもらっていることが、介護者の意欲につながる」という発表をされていました。
私はこのミッキーを見るたびに、いつも妹さんの温かい言葉を思い出しています。
そして、
「お母さ~ん、おはよう。 起きようかぁ?」
「あっ、お風呂に行こうかぁ~?」と、どんな状況になっても、ルンルン気分でお世話ができています。
先ほどの発表ではないですが、まるでこのミッキーや妹さんが私たちを見ていて、私たちのことを認めてくれているようで、いつも嬉しくなるのです。
ま~、目出度いmasaですね~。
また、このブログを始めて、いろいろな方からのメールで、私たちも癒されています。
人って些細な事で、 嬉しくなったりパッピーになったり しますよね。
人の心に届く言葉をかけていただくと、やっぱり、嬉しいものですね~。
お読みいただきまして、ありがとうございます。 masa
・・・・・・・・・・・・・


こんばんはmasaです。今日は、なんと健康でピチピチなトミスケが、『声変わり』をしていました。(笑)そして、今ひとつ元気がありません。
そんなある日、家族全員集合! といっても今は3人だけですが、私たち二人が、ちょっと元気のない母のベッドに集まりました。
toshiがソファーで幸せそうに本を読み、masaがトミスケの世話をしながら話しかけ、そしてどらえもんのドラちゃんが、母の腕の中で幸せそうに抱かれている・・・。
それぞれ一つ一つが一直線で結ばれて、『幸せのライン』を作り出しているようです。
いつもいい味を出してくれるドラちゃんには、とても癒されます。
どらえもんのドラちゃんは、お姉さんが『母の日のお祝い電報』として贈ってくれたものです。
このドラちゃんですが、ある時はトイレのオブジェ?にされたり、トミスケに時々箸で突かれて食べられそうになったりしています。(笑)
そしてまたある時は、猫のみゃおちゃんのベッドに入れられたりして、それはそれは大変です。(笑)
そんなドラちゃんですが、何をされても(笑)、どんな時でも、トミスケのそばにいて癒してくれるドラちゃんには、いつも感謝しています。
お姉さん、こんなドラちゃんを我が家に届けてくれて、本当にありがとう。
ドラちゃんもトミスケも、いつまでも大事にするからね。
そんな家族の 『愛』に包まれながらドラちゃんに癒されたのか、母は声もすっかり治ったようで、今は静かな寝息をたてて眠っています。
明日から、またショートステイでお世話になります。施設の皆様よろしくお願いいたします。
私たちが、こうして家でトミスケと暮らせるのは、デイサービスセンター、ヘルパーさん、ショートステイの皆様のおかげだと、本当に感謝しています。
お読みいただき、ありがとうございます。 masa


masaです。毎日、暑い日が続きますね。今日は、我が家の泣き笑い感動ストーリーの「今日は特別な日 生んだ赤ちゃんが・・・」をお届けいたします。ある意味涼しくなるかも・・・。それは、数年前の寒い真夜中の出来事でした。その頃は、真夜中2時頃の徘徊に悩んでいた時のことです。その徘徊のパターンは2つありました。1つ目は、トイレが分からなくなって、玄関で用を足してしまうこと。2つ目は、外へ出て行きたいため、ドアのチェーンロックを外そうとすること。当時は必ず、2時や3時頃になると玄関あたりで物音がして、慌てて起きる毎日でした。その日は、ワーン! ワーン! と泣きながら廊下を歩く音で目が覚めたのです。何故? なぜ泣いているの? と思いながら起きていくと・・・・。ワーン! ワーン! と泣いてみえるではありませんか?「お母さん! どうしたの?」と尋ねると、真剣な顔をして、「今、生んだばっかの赤ちゃんがいなくなちゃった!」 と言われるんです。「・・・・・・」想像してみてください!こんな真夜中にそう言われて・・・。ゾ~ッ! とした私は、すぐには言葉が出ませんでした。まさか 「お母さんが生んだ赤ちゃんは、あんなに大きくなってベッドに寝ているよ」とも言えず。(笑)(笑)(笑)ハーイ 落ち着いて! 落ち着いて! と、私は自分に言い聞かせました。そして、『どれだけ、その赤ちゃんが大切なもので、お母さんにとって意味あるものか』に付き合おうと思いました。そこで 、私 「その赤ちゃんは、可愛かった?」母 「うん。もう可愛いなんてもんじゃなかったよ」 (嬉しそう)私 「その赤ちゃんは、男の子? 女の子?」母 「それが・・・(嬉しそうに)男の子!」 (自慢げに)私 「おチンチンがついていたの?」母 「うん! ついてたついてた!」 (更に嬉しそうに)私 「良かったねえ。 男の子欲しかったの?」母 「そうやよ。男の子は1人は生まんとねえ」(表情が良くなってきた)私 「お母さん、おいしい温かいココアでも飲もうか?」母 「飲もう! 飲もう!」と言ながら、母は嬉しそうに台所に行きました。もう赤ちゃんのことは、どっかに吹っ飛んじゃたようでした。(笑)真夜中のこの会話・・・、いかがでしたか?
母が眠ってから、「アッパレ! あんたはエライ!」と、自分で自分を褒めました。
その赤ちゃんが、ナント
今日、60歳の誕生日を迎えました~!(笑)
おめでとう!
私は本当に嬉しくて・・・。
トミスケに、toshiさんを生んでくれて「ありがとう」と、お礼を言わずにおられません。
toshiさんを見ていると、親の愛を、いっぱい感じます。
toshiさんは、
身体をいたわりながら、これからの人生を、
「少しでも人のお役に立ちたい」と話しています。
どうぞよろしくお願いいたします。
お読みいただき、ありがとうございました。 (masa)

masaです。今日は、我が家の泣き笑い感動ストーリー。『トミスケ初めてのパチンコ』 (笑) をお届けします。母が認知症になってから、家族で意識的に行った事がいくつかあります。同じ話を初めて聞いたように何度でも聴く。忘れて思い出せないことは、混乱するので聞かない。失敗をした後に落ち込ませない。悲しい思いをさせない。自分は幸せと思えることをする。生きていて良かったと思えることをする。そして・・・。毎日の生活で、何かいい刺激がないかな? といつも思っています。masaの発想は時として、理解不明 のことがあります。 (笑)「そうだ!そうだ!」 (toshi 特別寄稿)日常とまったく違う刺激・・・。 刺激・・・。 と考えていた時、「あっ! そうだ! パチンコに連れて行こう!」と、ヒラメキました。その頃は、まだ父が元気な頃でしたので、15年くらい前だったと思います。早速父に話したところ、顔がややひきつっていましたが・・・。(笑)「そ、そりゃ いいじゃないか! いつもありがとう。ところでな、masaちゃんはパチンコによう行くんか?」 と・・・。大正生まれの父は、真面目で家族のために一生懸命働き続けていた人で、娯楽とは縁遠い人でした。masaのパチンコ歴は、友達に連れられて2回ほど行った程度で・・・(笑)「いいえェ~ (笑) 濱さんとこの前、初めて行ってきたんよ。(笑) その時、場内の耳が割れんばかりのあの音や目まぐるしく動くパチンコ台を見て、これをお母さんに見せたら、いい刺激になるかな~(笑)と、思ったんよ」と、話すと、父はとても嬉しそうに、「わしも、会社の帰りに時々行ったことがあるでな。 ただギャンブルは続けるもんじゃないけどなあ~!(嬉しそうに笑われる)」「そうなんだ! お父さんもパチンコへ行かれるんだ! へエ~・・・」とmasa。「わしだって、行くさあ(笑)」父は、なんか嬉しそう!その話の一部始終を聞いていた母は、「二人とも楽しそうやねえ」 と。「お母さん! お母さんも今からいいところに行くんだよ! 行こうね!」 と言うと嬉しそうに、「行こう! 行こう!」 と、大はしゃぎです。お母さん、カワイイ~!連れて行ったとしても、果たしてあの音や煩雑さに耐えられるか不安はありましたが・・・。こうして、『ワクワク・ドキドキ』の珍道中のはじまり はじまり~!そして、車で5分くらいのパチンコ店に到着!さあ~、いよいよ未知との遭遇です。 (笑)これからが、トミスケの意外な能力に脱帽することになるのです。 (笑)
パチンコ店に入ると、それはそれはモノ凄い音が・・・。
ふと見れば、子供のようにmasaの手をギュっと握って後ろに隠れるトミスケです。(笑)
そして、二人の会話はすごい音にかき消されてしまい、トミスケの「オォ~!」 と、いう驚きの声がかろうじて聞こえたぐらい。
私はトミスケの手を引きながら、店内を歩いて、パチンコ店の雰囲気を感じさせました。(笑)
トミスケは、目をキラキラ輝かせながら、パチンコをやっている真剣な顔のおじさま に指をさして笑ったり、強面のおじさんに「オッ」 と言って肩に触ったりしたのです。(笑)
いやいやそれはそれは大変ではありましたが、その後、いよいよ『トミスケ初めてのパチンコ』挑戦タイムになりました。(笑)
台に座ったのですが、小銭が300円しかなかったので、まずは300円で挑戦です。
しかししかし、この300円で、エライ展開になったのです。
嬉しいことに、このころになると、音に慣れた二人は会話もできるまでになりました。
パチンコを始めて間もなく 「ジャラーン ジャラーン ジャラーン」と、トミスケの箱がすぐにいっぱいになったのです。
masaは思わず、エェッ~! 箱はどこ? 箱は? スミマセーンとオロオロするばかり。(笑)
すると隣のおじさまが 「よう出るねェ~! 羨ましいなあ! おばあちゃんは欲がないからいいかもしれんなあ (笑)」と、床に落ちた玉を拾ってくれました。
トミスケは嬉しそうに、ニッコ!ニコ! それはそれはルンルンです。
本当にトミスケは 欲がない からいいかもね。(笑)
それにしてもトミスケは凄かったです。
ナント! 30分足らずで、300円が・・・7,200円になりました。
そんなトミスケの隠れた能力に、masaはホントに驚きました。(笑)
ニコニコして嬉しそうなトミスケのキラキラした目を見て、パチンコはいい刺激になったと確信したのです。(笑)
家に帰って、このことを父に話すと大変喜んでくれました。
そして、ひと言「トミスケはパチンコに連れて行ってもらっていいなあ~、羨ましいなあ~」と言われて大笑いしました。
あれ以来、パチンコには一回も行っていません。(笑)
また、いい刺激を求めて、奇抜なアイデアを出しますね。
お読みいただきまして、ありがとうございました。(masa)

アホな (笑) masaで~す。今日は、トミスケと父との 我が家の泣き笑いストーリー をお届けいたします。昨日toshiさんが、父のことを書きましたね。父は、威厳がある人で (笑)、 近所の主婦の方からよく言われたことは、
また、『多発性骨髄腫』という骨のガンになって、父が一時期病院に入院した時も、食事を運んでいった看護師が、あまりの威厳ある風貌(笑)に驚いて、お膳を落としてしまったんです。そして、masaのところに走って来て、
「本当にあの人と一緒に住んでいるんですか? 信じられな~い! 尊敬しちゃう~!」 とまで言われたのです。(笑)
そのような父が病気になり、今まで全ての事を人に頼ることなく“がむしゃら” にやって来た父が、殆んどのことを人に依頼しなくてはいけなくなりました。そのことは、父にとって受け入れ難いことであったと思いますが、人の優しさに触れ、ドンドン変わっていかれました・・・。
気丈な父は、「わしは、ガンか?」「もう治らないのか?」などと、一度も尋ねられなかったことに頭が下がります。
そんな父を最期まで自宅で『看取った』ことは、私たち家族の誇りです。でも、このことは、私たち家族だけではとても出来なかったことでした。主治医のH先生からは、「いつも、自分だったらどうして欲しいか考えているから・・・何でも言ってね」と言ってくださり、開業医のO先生からも、「できる限り嫁さんの力になるから言ってね」と・・・。
職場の皆さんからは、威厳ある (笑) 父のことを心配してか、(笑) 「大丈夫ですか? 自分たちだけでは大変だから無理しないでくださいね。いつでも入院してくださいね」と、優しく声をかけていただいたり、と・・・。
今思い出しても、凄い環境 の中で自宅療養ができていたなあと思い、涙が出てきます。皆さんのおかげだと感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、忘れていけないのが、“リハビリ担当 トミスケ” の存在でした。
「多発性骨髄腫」という病気は、骨のガンで全身の骨が折れやすくなり、麻薬を使わなくてはいけないほどの耐えがたい痛みに苦しむ病気です。
父は、転んだことをきっかけに動けなくなりました。
実は、父が動けなくなったことに一番驚いたのはmasaでした。あんな気丈で、人に弱みを見せたことのない父が痛み苦しんでいる姿は、今から思えば想像を絶するものでした。そして、嫌がる父を病院に入院してもらい、精密検査を受けてもらった結果が、「多発性骨髄腫」だったのです。
正直 「エ~ッ! どうして、こんなに辛く悲しい事が続いて・・・。そのあげくが・・・、なぜ!?」 と思いましたが、その事実を受け入れるしかありません。
整形外科から血液内科に変わり、治療方針もリハビリ中心から安静へと、痛みを取ることに変わりました。そして、痛みのコントロール ができるようになった時点で家に帰り、自宅療養を始めました。しかしこの頃はトミスケも認知症真っ盛りで、言われたことはすぐ忘れてしまう状態でした。(笑)
父は、トミスケのことは分かっているけれど、情けないやら腹立たしいやらで可哀そうな面も・・・。
masaは仕事に行っていますので、寝たきりになった父が不自由がないように、高カロリーの栄養剤がすぐ手に届くようにと、冷蔵庫にセットしたりしていました。
しかし、この栄養剤は父ではなく、ナント、トミスケの口に入っていたも・・・。(笑)
そんなこんなの珍道中のなか、我が家の泣き笑いストーリー!が繰り広げられました。
父が最期まで入院することなく自宅療養できたことを考えてみると、1つには、大量の麻薬を使い(普通の人だと幻覚・幻聴が出る量)ながら 痛みのコントロールができたこと。2つ目には、最後まで自力で呼吸ができたことが考えられました。
「多発性骨髄腫」の父が最期まで胸郭が障害されることなく呼吸が保たれたのは、とても大きな驚きでした。
そのポイントは、60歳から始めた尺八と、何でも忘れてしまう妻のトミスケにありました。
父は、趣味のなかでも尺八にはかなりの思い入れがありましたが、尺八は肺活量がいるため、胸郭を十分に使う必要があります。
トミスケは、「お茶を持ってきてくれ!」と父が頼んでもすぐ忘れてしまうため、胸郭をいっぱい使って、瞬発力を利用して、「トミエーーーーッ!」 と呼ぶ必要がありました。
じゃありませんね。(笑)
正確にいうと、大声で叫んでいたことが、呼吸状態が最期まで保たれ、肺炎にかからなかった大きな要因となったのです。
トミスケは、愛する夫のために、自ら 呼吸リハビリをさせていたのです。
凄い、凄すぎる~~~。
親愛なる父へ
天国のお父さん!
実をいうと、「トミスケ! 夫のリハビリに大活躍!」でしたよ。
お父さん!
お母さんは、毎日が新鮮で、幸せです。
昨日、デイサービスから帰ってみえた時、デイの職員さんにお会いしました。その爽やかな若い男性は、母を後ろからグッ!と抱きしめて、「トミエさん じゃあ またね」と、言ってくださっている光景を目にしました。
この光景は、masaが母をお風呂に入れて着替えた後、同じように母を後ろからグッ!と抱きしめて、「お母さん! あと何回お風呂に入れるかなぁ?」と、語りかける姿と重なりました。そのため、この若い男性の姿を見て、ありがたさに思わず涙があふれてきました。そして、「施設でトミエさんは癒し系だから・・・」とも、言ってくださったのです。
お世話になっているデイやショートの皆様には、いろいろご心配やご迷惑をおかけしておりますが、ありがたい言葉をいただく度に 「トミスケは幸せものだな~」と思っています。
ですからお父さん、どうぞ安心してくださいね!
このジャガイモの写真は寄り添っているお父さんたちみたいでしょ。

今日から3日間、私の定年退職を祝って masa が企画してくれた、 「toshiさんお疲れ様会」 の様子をご報告させていただきます。
このツアーは、山梨県下での所用に合わせて masa が計画してくれたもので、私にとっては一生忘れられないものとなりました。
今日は、その第1回目です。
亡き父も一緒に参加!
22日(土)、所用を済ませてから、「toshiさんお疲れ様会」 のメイン会場である旅館へ。今回のツアーは、私と母 トミスケ、そしてこのツアーの企画者である妻 masa の3人。更にもう一人、今は亡き父も参加?しました。
亡くなった父が参加って、どういうこと?
ハイ!、それは、父の写真を持って行った! ということなんです。写真と言っても普通の写真ではなく、いつもは仏壇に置いてある小さい遺影の入った額です。私たちは、父が亡くなってから家族で旅行する時はよくやっています。特にポイントとなるような旅行の場合は、大抵、父を連れて行ってますね。勿論、これは masa の発案。
息子の定年退職。勿論、父も喜んでくれてますよね・・・。
車中での応援部隊は、大好きな斉藤一人さんら。
家族旅行を車で行く場合は、車中でCDをかけて行くことがほとんどですね。
子どもたちが一緒の時は、娘たちの好きな賑やかな音楽が多かったのですが、今は100パーセント私たち好みのCDということになります。
そこで今回かけていったのは、斉藤一人さんの講演会が録音されたCD3枚で、最近入手したものですね。それと音楽では、ZARDのCDも持って行きました。
一人さんの講演CDでは、会場にいるつもりで拍手したり大きな声で笑ったり、そして感動したり・・・。お目出度いほどはしゃいで賑やかな車内になったりすることもありましたよ。もし娘たちがいたら、もう相当呆られたでしょうね。(笑)
あっ!、それから、母のご機嫌なスキャット♪?(笑)も加わったりします。
時々ですが、この「ワッ、ワッ、ワッ、ワァ~!」は、なかなかイイもんですよ。(笑)
旅館でのサプライズに思わず涙! 超感動の夕食タイム。
今回、masa が 「toshiさんお疲れ様会」 で企画した旅行先は河口湖。それは私が富士山が大好きだからですね。
となると、ツアーのメインは、まずは美しい富士山と、やっぱり楽しみな夕食タイム、ということになります。
今回masa が選んだ旅館は、いままでに3回ほど出かけていてファンとなっている旅館です。しかも今回は、このツアーの目的が一生に一度の定年退職おめでとう!・・・ということで、最近リニューアルされたばかりのとっても素敵なお部屋での宿泊ということに。
楽しみにしていた夕食時タイムでは、旅館側の素敵な演出により、私は思わず感動の涙を流してしまいました。
さらにそれに輪をかけて私を感動させたのは、masa のセレモニーでした。
こんなに感動した夜は初めてでしたね・・・。ほんとに・・・。
この様子については、また明日書かせていただきます。
いつでも幸せ~! ついてるついてる! ハッピーハッピー!
こんな言葉がよく交わされるアホみたいに目出度い夫婦・・・、と思っていましたが、本当に超ハッピーな出来事が実際に起きちゃったんです!
まさに、ついてるついてるハッピーライフ!でした。
お読みいただき、ありがとうございまぁ~す。 (toshi)

ありがとうございます。「toshiさんお疲れ様会」 (正式にはこの名称でした)の2日目です。母が大喜び! 一緒に来れて行って良かったぁ~!今日の写真は、旅館でのワンシーンです。
どうしたんだろう? と思って母のいる場所に行くと、その理由が分かりました。
洗面台が2つ並んでいるとってもゆったりしたその部屋は、壁一面が鏡になっていたため、ちょうど角っこに立つと、前にも横にも自分の姿が映るので、母はそれが面白くて大はしゃぎしてたんです。
鏡に向かって、いろんな表情をして面白がっていましたね。
もしかしたら、鏡に映っているのは自分じゃなくて、別の人間だと思っていたのかもしれません。(笑) いろんな顔をして面白がっている母を見て、一緒に来れて良かったなぁ~って、つくづく思いました。
大感激した旅館でのサプライズ!
さて、お約束していた旅館でのサプライズ! 思わず涙した感動のお話をさせていただきましょう。
昨日の写真は、その一部を表していますよ。
実は、夕食の場所が最高でした。とっても贅沢なスペ-ス がとられ、しかも富士山がバッチリ・・・。好都合だったのは、そこが一つの部屋として仕切られていたことです。
このことは母を連れて行動する場合、母が大きな声を出したりお得意のスキャット?(笑)を歌ったっりして周囲の皆様にご迷惑をかけることがあるんですが、こういう造りになっていれば、その影響が軽減されるからです。しかも、大きなガラスで構成されているため、富士山もバッチリ! 本当に何から何まで最高の部屋でした。
そんな場所での楽しみにしていた夕食のシーン。
感動は、席に着いて間もなく、次の言葉から始まりました。
「定年退職、おめでとうございました。これは当館からのお祝いのワインです・・・。後ほど、女将も参ります・・・」
素敵な笑顔で登場されたスタッフの方の手には、ワインボトルと旅館からのご丁寧な挨拶状(昨日の写真です)が・・・。
「エッ?エェ~!? 本当?」 とかなんとか言ったようですが、ハッキリとは覚えていません。(笑) 覚えている事は、とにかく驚いたことと、もうめちゃくちゃ嬉しかったこと・・・。
この旅行を申し込んだ masa も全く知らなかったようで、二人とも大感激!大感動!でした。
こういうシーンにめっぽう弱い私は勿論、masa も目がウルウルです。
私も胸が一杯で、言葉が出ないほど・・・。
もう、最高に嬉しかったですね!
こんな演出をしてくださった旅館の皆様には、もう大感謝です。
本当にありがとうございました。
早速そのワインを注いでいただき、感動・感謝・感激の中、楽しい夕食が始まりました。
実は、感動はこれだけでは終わらなかったのです。
世界一幸せ!と感じた、 masa の感謝のセレモニー !
楽しい会話と食事が一息ついた頃、masa が立ち上がりました。
何事かと思ったら、定年退職した私に対する感謝のセレモニーが始まったのです。
そこでは、今まで家族のために一生懸命真面目に働いてきた夫に対する、心温まる感謝の言葉が述べられたのです。
旅館からの突然のサプライズで、2人、いや3人の気持ちがかなりウエットになっていた為、話す masa も、聞く私も、再び感動の涙が出るのに時間はかかりませんでした。
真剣さと少し照れ臭さが混じった masa の表情を見ていて、
「こいつ、本気 でやってる!・・・」 (笑)
と分かると、ますます感極って言葉に詰まりました。もう二人とも感動感謝の嬉し涙でしたね・・・。
その時、母がどんなだったか良く覚えていません。(笑)
家に帰って来てから masa に聞いたら 、masaは、
「お母さん、あいがとう! toshi さんを生んでくれて、ありがとう!」
と、母に話してくれたそうですが・・・。
「世界一幸せやな。もう今死んでもいい!」
この言葉、本当に私が口にした言葉です。このことだけは、よく覚えています。
それほど嬉しくて、魂が揺さぶられるほど感動したセレモニーでしたね・・・。
間違いなく、今までで最高に感動したひと時でした。
まさに、ハッピーファミリー、ハッピーライフ!
こんな幸せ、決して当たり前のことじゃないですよね。
最高のパートナー、最高の家族に恵まれ、本当に感謝です!
定年退職ツアーのお話、3回目はこの次に・・・。
長文をお読みいただきありがとうございまぁ~す! (toshi)

ありがとうございます。今回が定年退職ツアー報告の最終回です。写真は、今回宿泊させていただきました 「湖山亭うぶや」 さんの部屋から見た、早朝の富士山です。
「湖山亭うぶや」 の皆様、大きな感動を有難うございました!
母と行く旅行は、いつも感動がいっぱい!
認知症、そして足の動きがちょっと困難・・・。
そんな母と行く旅行では、masa の負担がとっても重くなります。
それが十分わかっているだけに、正直、息子の私としてはかなり複雑な思い。かなり迷う時もありますね。
実は、決して楽に行ける旅ではないだけに、とっても大きな喜び、感動を味わうことも事実です。
いつもあるのは、masa と母との様子を見て、親身になって手助けして頂ける人が現れること。これって、いつも感心しています。その都度、私たちもこのような人間になりたい・・・って思いますね。
今回も、お風呂場のスタッフの方に本当に良くして頂いたそうです。その方もでしたが、そういう人達って、とっても笑顔が素敵なんですよね。助けていただいた私たちも、その笑顔で救われます・・・。
「私も、今度は母を連れて来ます・・・」
この言葉は、今回の旅行で masa と母の様子を見ておられた人が、その場で言われた言葉だそうです。
大変そうな二人の様子を見られて、そんな言葉を masa に伝える人の話、もう何回も聞きました。旅行に出掛ける度に耳にしている感じ。そのほとんどが大浴場の中らしいのです。(笑)
それほど母の入浴は大変なんでしょうね・・・。
masa の母を連れた入浴光景を見られた人が、ご自身の親に対する考え方を変えられる・・・。
実際、そんな人がおられることに私たちは感動しています。
それはきっと、masa が、大変な中にも楽しそうに母に対応していることが大きいと思います。
私自身は、そんな masa を凄い!と思い、尊敬しています。
かつては、私がそうでした・・・。
大変そうな家族連れを見て、自分もそうしよう!・・・と思われる人の気持ちって、私にはよく分かります。
実は、かつては私自身が、そんな光景を見て気持ちが変わった一人なんですから・・・。
子供を連れてキャンプへ行くようになって以来、家族旅行とは、私たち夫婦と自分の子供が行く旅行だったんですね。
それが、ある旅行先で、夕食の場に現れた家族連れの光景を見た時、大反省をしたことがありました。そのご家族は、歩けないお父様を車椅子で連れて来られていたのでした。そんな発想などなかった私は、そのご家族を見て、ある意味大きなショックを受けたのです。
その時以来、家族旅行は、例え車椅子に乗せてでも親を連れて・・・、という考えが私の中に生まれたようです。
ですから、一緒に行ける間は、なんとか連れて行きたいですね!
トミスケあっぱれ!! 旅先でも 「母のお仕事」 健在!
旅館の部屋に落ち着いてからトイレに入っていた時、ガチャッという何かの物音がしました。
トイレから出て来ると、何と、母一人では立ち上がれないと思っていた低いソファに座っていた母が、自分一人で立って、結構歩いた先にある部屋の入口のドアを開けようとしているではありませんか・・・。
「あれあれ~、出てっちゃだめだよ~!」
と言いながら、すぐに部屋の中まで母を連れて来ました。
大浴場の確認に行っていた masa が部屋に入って来た時、
「あっ、見つけた!」
と言って、入口のカウンターに置いてある急須の蓋を発見したのです。masaは急須の蓋がどこかへ行って、困っていたようでした。
なんと、母は、旅先でもやっていたんですね。「母のお仕事」 を。(笑)
こちらが手を添えると途端に動きがスローになるのに、自分の意思で動く時は結構スムーズ。とっても調子がいいみたいです。(笑)
旅先でも活発で、ちょっと考えさせられた 「母のお仕事」 でしたね。
一生忘れられない感動の旅
masaの企画した今回の「toshiさんお疲れ様会」定年退職ツアーは、多くの感動と出会った、一生忘れられない旅行となりました。それと同時に改めて思ったのは、いつも母をお世話くださる皆様への感謝の気持ちでした。
本当にいつもありがとうございます。
ついてる話、ハッピーな話など、まだまだいっぱいありましたが、この辺で・・・。
お読みいただき、ありがとうございまぁ~す。 (toshi)
すると、toshiが、「masaにそう言われちゃ何も言えないよ。(笑) masaは本当にこうていペンギンだね」と笑います。
楽しかった退職お疲れ様ツアーも、感謝と感動のなかで終わり、本当に思い出に残る旅行となりました。
旅館では、トミスケを真ん中にして3人横に並んで、仲良く川の字になって寝ました。
子供たちが幼い頃は、旅行に行くと川の字で寝ることはありましたが、トミスケとの川の字はとても新鮮。そんな川の字に安心したのか、トミスケは「スー、スー」と寝息をたてて・・・。
トミスケは、なんとも可愛いです。
さて今日は、これまた富士山への旅行で展開された、「我が家の泣き笑いストーリー」で、
トミスケとの旅 ~ 夜勤交代の巻 ~をお届けします。
数年前、富士山がきれいに見える河口湖の旅館で、5人で泊まった時のお話です。
大月インターを出て河口湖へ向かうころ、大歓声とともに神々しい富士山が迎えてくれたことを思い出します。
お天気に恵まれて、観光地をあちらこちら回った後、旅館に着きました。
toshiさんは、一人だけの運転でしたので、夕食のお酒が効いてか、ぐっすり熟睡!(笑)
その後、二人の娘とmasaが夜勤体制に入ることなど、誰も思っていませんでした。
皆が眠りかけたその時、トミスケがガバッ!と起き、「お米をかして、ご飯を炊かないかんわ。どこにお米が・・・」(笑)
エーッ ウソーッ 出ました
「ここ家じゃないからね。もう寝なきゃ・・・」と話しかけるも、全く耳をかそうとしません。(笑)
ひたすら、玄関に行って外へ出ようとされるのではありませんか。
どうしよう? 凄い力だし・・・。
toshiさんは寝させてあげないといけないし・・・。
その時、「あっ、そうだ アレがある」 とある事を思いだしました。
危険予知能力が高い(笑)masaは、旅行に「鈴付きゴム紐」「タオル」「ガムテープ」の、徘徊 三種の神器を持って来ていたのです。(笑)
早速、玄関のノブにタオルを巻きガムテープでぐるぐる巻きにして、「鈴付きゴム紐」を付けました。
そして、座卓をバリケードにして、そこを通ると熊ちゃんよけぐらいの大きな音が出るように、「鈴付きゴム紐」をセットしたのです。
さあ~、これで完璧と思ったのもつかの間・・・。
大きな鈴が、鳴るの鳴るの・・・。(笑)
母はジィーッとしている事が出来なくて、「ご飯を炊かな・・・」と言って動こうとする母に、
「お母さん、もう寝ようね」と、寝るように勧めるのですが・・・。
そんな会話を聞いて目を覚ました娘が、「おばあちゃん寝よ」と言っても、効果がない状態です。
娘たちに、「私はもうお母さんに付き合うから、あなた達は寝なさいね」と言うと、「私たちも、交代におばあちゃんを見るから声かけてね」と言ってくれました。
ナント 頼もしい言葉! 感動しました。
そして、そんなことなど何も知らないで寝ているtoshiを眺めて、3人で大笑い。
「お父さんは、運転で疲れているから休ませてあげよう。」ということに・・・。
11時から続いた炊事騒動も、外が白々して来た頃にはトミスケも眠くなり(笑)、ゲームオーバー!
すっかり疲れた私たちが完全に眠りについたのが、朝の5時頃でした。
「オ ヤ ス ミ zzz 」
すると、6時になって、何も知らないtoshiが、
「みんな起きろー! 富士山がきれいに見えてるぞー!」と嬉しそうな大きな声。(笑)
「エエーッ!」(笑)
「・・・・・・」
今思い出しても、本当に笑ってしまいます。
トミスケとの旅 ~ 夜勤交代の巻 ~も、きれいな富士山と共に、我が家の楽しい思い出です。
お読みいただきまして、ありがとうございました。(masa)
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masaです。今日は、 忘れること についてお話します。
母が忘れることが多くなった頃、私たち家族は、驚きと戸惑いから、この先どうなちゃうの (-_-メ) !!! と、不安に思うことが多々ありました。(笑)認知症を患うということは、本人にとっても家族にとっても、つらく悲しいことです。
それもあって、以前にも書いたように、今まさに 認知症の介護で途方に暮れ、悩んでいる方の一助になればいい と思って、このブログを立ち上げました。
母(トミスケ)も、この20年の間には、それはそれはいろいろな事がありました。(笑)
認知症の症状にどう向き合うのか? ということが介護のポイントであり、私たち 家族の心の安定 と、人としての成長 に繋がるものだと思います。
それは、認知症の症状に対して 、 『愛ある対応をする』 ということが出来るかどうかだと思っています。
かつては忘れっぽくなった母に対して、父は「さっきから何度も、同じことを言っている! いい加減にしろ!」と腹を立てたり、私たち家族は「だいじょうぶ~?」「おいおい! いいか~?」などと、対応していました。
そんなときの母は、忘れてしまったことに対して、それを認めたくない気持ちや叱られる辛さ、何よりプライドがズタズタにされたという思いから、悔しい気持ちが高まっていき、ドンドン表情が硬くなっていったのです。
母が認知症になってから、私たち家族で意識的に行った事がいくつかあります。
同じ話を初めて聞いたように何度でも聴く。
忘れて思い出せないことは、混乱するので聞かない。
失敗をした後に落ち込ませない。
悲しい思いをさせない。
自分は幸せと思えることをする。
生きていて良かったと思えることをする。
心配するな! 楽しめ!
これが、masaの「介護の原点」です。
それでは今日の「我が家の泣き笑い感動ストーリー」
『あっ! びっくり! ヨーグルト3社契約』 をお届けします。
それは、母は忘れっぽくなって、自分の行動を悔やむようになっていた時期でした。
数年前の朝早く、玄関のチャイムが鳴ったので出ていくと、そこには3人の女性が立っていらっしゃいました。
驚いたことにそれぞれの手には、ナント ヨーグルトを入れる箱とヨーグルトを持っておられました。
そして、
「Mの○○です。今日からヨーグルトをお取り頂きまして、誠にありがとうございます」
「私は、Yの○○です」
「私は、mの○○です・・・・」
そこで驚いた私は、「皆さま申しわけありません。母は忘れることがありまして・・・。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」とお詫びしました。
するとその中のお一人が、「おばあちゃんが、『家のものが、牛乳やヨーグルトを食べさせてくれない! ここしばらく食べていないのでヨーグルトを取りたい』と言われて契約を結びました」と・・・。
他のお二人も、その言葉に頷いていらっしゃたのです。
偶然とはいえ、3つの業者が同じ日になってしまったこと。
契約したことを忘れ、3つの業者と契約してしまったこと。
ヨーグルトは、いつも食べているのに・・・。
などと考えていたら、契約ができたことに対して、おかしいやら担当の方には申し訳ないやらで、笑えてきました (笑)
さっそく業者の方には、母の状態を説明して丁重にお断りをしました。
その時の皆さんは快く承諾をしてくださり、とても有り難かったですね。
こんな時も、
母には一切言わず、何もなかったように振舞いました。
悲しい思いをさせない。
自分は幸せと思えることをする。
生きていて良かったと思えることをする。
ということに徹していました。
そういえば、以前は高額なマッサージ機が2台届いたこともあったっけ。 (笑)
その時も、解約後には何もなかったように振舞っていました。
心配するな! 楽しめ!
母とどう向き合ったのかは、『私たちの宝』です。
認知症の人に、忘れたことを自覚させることほど、酷なことはないと思います。
目出度いくらいに、 愛ある反応をする ことと、心配するな! 楽しめ!に徹することで、皆がハッピーになりますよ。
今日の写真は、ヨーグルトの三者契約ができていた頃の『お茶目なトミスケ』です。
こんな母を、いつもお世話いただいている皆様に感謝です。
お読みいただきまして、ありがとうございます。(masa)

写真は、シイタケ ではなく、見栄を張って『マツタケ』で~す(笑)。
お読みいただきまして、ありがとうございます。(masa)

masaです。認知症の症状には 「物忘れ」 がありますが、この時期を飛び越すと、普段できていた事が出来なくなります。
この時期になると、周りの人は心配になり、「どうなってしまったのだろう」 と混乱することになります。
特に、女性にとっては、今までできていた料理などが出来なくなることが多いようです。
主婦の多くは毎日の献立を考える時、 「今日は何つくろう・・・」 と悩むことがありますが、その事がだんだん出来なくなっていくトミスケを見ながら、献立を考える事が出来るあたりまえの事に感謝しています。
あのシイタケが鍋いっぱい! の事件(笑)があってからは、しばらく調子のいい日が続きました。
ある意味、毎日、今日は何が起きるのだろうと、ワクワク、ドキドキしていました。(笑)
そのような中、物がなくなることは珍しくなく、鍋の蓋・フライ返し・しゃもじ・ラップなどがない時は、「ここかな?」「エッ!違う」「じゃあ ここかな?」と、楽しそうにクイズ感覚で探すことが多かったです。
そんな姿を見ていた娘に、「お母さんは、探し物を楽しんでいるみたい。変だね(笑)」と、よく笑われたものでした。
しかし、さすがに中華鍋がなくなった時には、あんな大きなものを入れる場所は限られているし、探しようがなく困りました。
どこで見つけたと思いますか?
ナント
お布団がガバッと盛り上がっているので、「エェー! まさか」と・・・(笑)。
そっとお布団を剥いだところ、トミスケがベッドの中で、大切に抱っこして寝ていたのです(笑)。
こんな姿も、本当に、可愛かったです。
さて、今日は、豚汁という名の「おでんちゃん」をお届けします。
前回に引き続いて、認知症がすすんだな! と思えた、料理編です。
ある日、仕事から帰って台所へ行くとお母さんが、「masaちゃん、今日は豚汁を作っておいたからね」と言ってくれました。
masaは、
「ワー、嬉しい。寒くなったから豚汁はいいね。\(^o^)/ お母さんありがとう」と言って、豚汁の顔を一度も見ないで、メインの料理を作り始めました。(笑)
さて、食事が完成。
「みんなご飯だよー。おいでねー」と呼んで、
「寒くなったから、お母さんが豚汁を作ってくれたよー」と言って、お椀に注ぎ分けようと蓋を取ってびっくり
ナント 大鍋に横たわっているのは、厚さ5㎝の大根・ちくわ・はんぺい・こんにゃく等・・・。ところ狭しとゴロゴロしているではありませんか。
名づけて、みそ仕立てのおでんちゃんでした。
予想しないものが鍋に入っていたので、一番驚いたのはmasaで、本当は「ギャー」と、飛び上がるくらいでした。(笑)
しかし、何もなかったかのように、器をお椀から小どんぶりに変えて、みんなに分けました。(笑)
家族は、「エッ! 豚汁じゃないの?」と、言ったものの、豚汁という名のおでんちゃんを、みんな笑いをこらえながら食べました。(笑)
今、思い出しただけでも笑っちゃいますね。
しかし、これですよ。
失敗をした後に落ち込ませない。
悲しい思いをさせない。
自分は幸せと思えることをする。
生きていて良かったと思えることをする。
今日の写真のトミスケを見てください。
とってもおちゃめでしょ!
この姿を見たら、何も言えなくなりますね。
toshiさんと、「私たちは家族だから・・・。しかし、お世話になっている施設の皆さまには、ご心配やご迷惑をいっぱいかけているだろうね。感謝だね!」と、いつも話しています。
いつもお世話いただいている皆さまに、心から感謝いたします。
ありがとうございます。
お読みいただきまして、ありがとうございます。(masa)

今日は、泣けたお話しをお届けします。
トミスケの三回忌を前に、『少しの時間でもトミスケの衣類を片付けなきゃね』 と始めて間もなく、 涙が止まらなくなりました。
一緒に過ごした日々のこと・・・。
手に取った服を着ている姿・・・。
何より、『もういないんだ!』(当たり前のことですが・・・)と思ったら寂しさが込み上げてきて、toshiさんのところへ何度も行っては、声を出して泣きました。
toshiさんのことだから、『泣くなよ!そんなに泣くと、こっちまで・・・』
と思っているだろうなと思いましたが、 抑えきれなくて泣きました。
いい年して(笑)幼子のように泣きました。
泣くだけ泣いて、心をチェンジして、再度片づけ始めたところ、『不思議な体験』をしました。
いつも、何気なく見ていた『トミスケ 86歳の誕生日の写真』が、 目に飛び込んできたのです。
あっ この写真の服と、先ほど泣きながらビニール袋に入れた服と同じだ。
と、閃きました。
凄~いと言いながら、慌ててビニール袋から出してみると・・・、やっぱり同じ服でした。
toshiさんに話しても、「同じ」と思うくらいですが、嫁であるmasaは (エヘン!!) 直ぐにわかりました。(笑)
そこで、masaは何をしたか・・・。(笑)
今日のタイトルの写真を撮り始めたのです。
最初は、赤の毛氈に服を置き、 『誕生日の写真』を乗せて写真を撮っていました。
それも、縁側を開けっ放しにして、音楽の音量をいっぱい上げ(笑)、泣きながら写真を・・・。
すると、お隣のTさんが目の前に立ってmasaの行動を、不思議そうに眺めていらっしゃいました。
masaも驚きましたが、お隣のTさんも驚かれたと思います。
すかさず(笑)masaは、
「トミちゃんの服を片付けていたら泣けて泣けて・・・。そしたら、この写真で着ている服があったので、写真を撮っていたんです。いつまで経っても泣けますね」とお話しすると、トミスケを象徴するひょうきんな写真を見て、
「ええ 写真があったなぁ~」と言って、地区の回覧板を置いて行かれました。(笑)
写真のカッコイイ構図も浮かばず、toshiさんを呼びました。(笑)
『ヨッ 真打登場~ 』
そこで、今日の写真が出来上がったのです。
何故、トミスケの写真が目に入ったのか?
そして、その写真の服と手元にある服が同じものであると直感で思ったのか?
まったく不思議です。
まるで、トミスケが、
『もう泣かんでいいよ』
『いつまでも泣いてばかりいないで、前に進みなさいね』
『そこまで思ってくれて十分だよ』
『私は幸せだよ~』
と、言うために設定したとしか思えません。
写真を撮り終わったら、本当に清々しい気持ちになりました。
toshiさんは、『大丈夫か~ こんなに泣かれちゃ困ったなぁ~』
と思ったそうです。(笑)
一般的に、近しい人を見送った後、悲嘆といって、「かなしみ、なげくこと」をして、その人との「別れを受け入れていく」という時間が必要であると言われています。
今年の4月12日で丸2年経ちますが、masaはそういったの時間もなく過ぎていたように思います。
だから、トミスケの服を片付けることが出来なかったのかもしれません。
今日の少しの時間で、『トミスケの優しさ』 を感じることができました。
本当に、心から感謝しています。
「お母さんありがとう」
「いつまでも大切に思っているよ~」
「大好きだよ~」
泣きじゃくっている時、困り果てたtoshiさんが、
「未来を生きるあなたが、そんなんじゃ駄目じゃないの」
と、声をかけてくれました。
その時、masaが、
「トミスケは、未来の私に灯をともしてくれた人だよ」
「天国に旅立った後でも、人の心に灯をともす存在でありたいね」
と、話しました。
今日は、トミスケの偉大さを偲び、『トミスケの優しさ』に癒された日でしたね。
最後までお読みいただきまして有り難うございました。(masa)
今日は、我が家で繰り広げられた認知症の母トミスケとの愉快な生活をご紹介する〝我が家の泣き笑いストーリー〟で、まだ未公開だった愉快な話をお届けいたします。
認知症の症状の一つ、『異食』についての、それはそれは愉快なお話ですよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
我が家の泣き笑いストーリー
第21話 ゴキブリ団子、スプーンで完食!
ある日、病院での勤務中に、中学生の娘から連絡が入りました。
その内容は「外の倉庫にあったゴキブリ団子をおばあちゃんが食べちゃったの!」「お母さんどうしたらいい?」という悲壮な電話でした👀👀👀
エ~~~!
ゴキブリ団子って、何を食べたの!?
何処にあったの!?
その時の私は既に勤務時間は終えていたので、すぐに家に戻ることにしました。
家に戻り母が食べたものを見てみると、それはそれは美味しそうな、まるでチョコレートのようなゼリー状のもので、スプーンですくって食べられるような軟らかいものでした。
箱の中を見ると、ゴキブリ団子を全部、キレイにスプーンで完食してありました~。(笑)(笑)(笑)
「これは美味しそうに見えるから食べたかっただろうね」と笑って娘に伝えると、「またそんな吞気なこと言って、こっちは大変だったんだから・・・」と呆れ顔。
よく考えてみれば、中学生の娘一人で心細かっただろうに、本当に申し訳なかったと平謝りに謝りました。
胃洗浄が必要と思い早速病院に連絡したところ、すぐに受診するようにとのこと。何事か全く訳が分かっていない(笑)母を連れて病院へ行ったのです。
それから珍道中「我が家の泣き笑いストーリー」の始まりで~す。
************
病院に着くと、
「まさちゃんどこ行くの?」とニコニコして嬉しそうに尋ねる母トミスケ・・・。
「お母さんがネ、ゴキブリ団子を食べちゃったので病院で診てもらうよ❤😊」
「え~ホ~カ~」(相槌を打つ母の言葉)
「誰が~」
「お母さんがゴキブリ団子食べちゃったの😊」
「え~ホ~カ~」
「誰が~」(笑)
と・・・、こんな会話を10回ほど繰り返しながら、母の診察を待ちました。(笑)
診察室に入ると、ドクターが「認知症って大変やね」と言いながら、早速、胃洗浄の準備です。
ドクターが一番心配されたことは、意思の疎通が難しい場合、胃洗浄の太い管を上手く飲み込むことができるかどうかということでした。
しかし、母は胃管を飲みこむことが今まで見たことがないほど上手にできて、私も驚きました。(笑)
普段、胃洗浄の患者さまには、「うどんを飲み込むようにゴックンと飲んでくださいね~」「そうそう上手ですね~」と言いながらするのですが、ほとんどの方が咽頭刺激で「オエッ!」となります。
しかし母は、10mmの太さの胃管をうどんのように飲み込み、拍手喝采でした!
そして、胃洗浄をしている時も、「まさちゃん、いま何しているの?」と苦痛もなく喋り続けたのです。(笑)
「お母さんがゴキブリ団子を食べちゃったので、胃の中をキレイに洗っているからね。もう少し頑張っていてね😊」
「え~ホ~カ~」
「誰が~」
10秒もたたないうちにまた・・・。
「まさちゃん何しているの?」
「お母さんがゴキブリ団子を食べちゃったので、胃の中をキレイに洗っているからね。もう少し頑張っていてね😊」
「え~ホ~カ~」(笑)
「誰が~」(笑)
「お母さんがゴキブリ団子食べちゃったのよ😊」
・・・・・・。
こんな問答が、何回も続きます(笑)
この会話を耳にしていたドクターが、「大変ですね~」「しかし、丁寧に対応していますね~」
と感心されるやら、呆れられるやら(笑)
お陰様で、胃の洗浄がスムーズに終わり、点滴注射で補液をすることになりました。
点滴注射が始まると、母は今度は家に帰りたい気持ちが高まり、注射を抜こうとしてしまいます。
私は母をなだめたり握手をしたりするのですがなかなか難しく、最後は、シーネ(腕を伸ばして固定する板)をあてて一件落着。(笑)
すると
「まさちゃん、私は手の骨が折れたの?」
という言葉が。点滴注射のためにシーネで固定された手を見ての言葉でした。(笑)
「お母さんがね、ゴキブリ団子を食べちゃったのでね、胃の中を洗って点滴注射をしているからね。もう少し頑張っていてね。😊」
「え~ホ~カ~」(笑)
・・・・・・。
「まさちゃん、私は手の骨が折れたの?」
「手の骨は折れていないよ。お母さんがゴキブリ団子食べちゃったので、胃の中をキレイに洗って点滴の注射をしているからね。もう少し頑張っていてね。😊」
「え~ホ~カ~」
・・・・・・。
「誰が~」
「お母さんがゴキブリ団子食べちゃったのよ😊」
「え~ホ~カ~」
こんな会話を何十回と繰り返していると、カーテン越しの救急外来で嘔吐をしていた男性が、声をかけてくださいました。
「大変ですね。お二人の会話を聴いていたら、申し訳ありませんが可笑しくて、笑えてきて笑いを我慢することが大変で・・・ハハハ」
私は、「気持ちが悪く大変な時に申し訳ありません」
とお伝えすると、
「なんのなんの、笑いをこらえていたら吐き気がなくなりました!」と・・・。(笑)
救急外来の職員さんや患者さまにもご迷惑をおかけしましたが、母は何もなかったように清々しい顔をして帰宅することに。(笑)
さすがトミスケです。
我が家の泣き笑いストーリー、「ゴキブリ団子、スプーンで完食!」の巻。
トミスケ! アッパレの結末でした~。❤😊
お読みいただき、ありがとうございま~す。masa
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ウェブサイト「認知症介護の見方を変えよう!」https://happykaigo.jp
追伸で~す。トッシーです。
7~8年ぶりに記事を書いてくれた、masaの「我が家の泣き笑いストーリー」でした。
masaに感謝です。
まだ20話近くありますので、また書いてくれるのを楽しみにしています。
このストーリーに出てくる、母が異食したゴキブリ団子の商品は、残念ながら現在は販売されていないようです。masaが言うには、スプーンで食べれられるゼリー状で、まるでチョコレートと見間違えるようだったとか・・・。
認知症の母なら、美味しいと思って食べてしまったのも頷けますね~。
皆さんこんにちは。masaです。💕今回は、「おばあちゃん」ではなく、「お母さん」と呼ぶワケ、についてお届けします。
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我が家の泣き笑いストーリー
第22話「おばあちゃん」ではなく「お母さん」と呼ぶワケ
この話に入る前に、縁あってtoshiと結婚することになり、toshiの家に遊びに行った時に義父から言われた言葉をお伝えしたいと思います。もう、40年以上も前の話ですね。
その時の義父は、改まって、
「まさちゃん、白無垢の意味を知っているか?」
「白無垢の『白』にはな、『純潔』『嫁いだ家の家風に染まります』という意味があって、これから新しい家に嫁として入る覚悟を表したものと言われているんだよ」
「まさちゃん、角隠しの意味を知ってるか?」
「角隠しの意味はな、『角を隠して夫に従う』という意味が込められているんだよ」
と、威厳をもった表情で、静かに話してくださいました。
義父の風貌は威厳があり、眼光が鋭く、一見怖い感じの人でした。しかしその反面、軍人として誠実な振る舞いだったことから、戦友からの信頼が厚かった、とも聞いています。
そのような義父は、近所の方からも怖い人と思われているようでした。(笑) 近所の方が朝の挨拶をした時も、義父の厳しい顔に、続く言葉が出てこなかったとか・・・。😢😢😢
また、私が勤めていた病院に父が晩年になって入院したことがありましたが、その時に配膳をした看護師さんが義父の眼光の鋭さに驚き、思わずお膳を落としてしまった! という笑えないエピソードまであります。(笑)
そんな義父でしたが、我が家ではこんなことも・・・。
台所で義父のお酒の肴を作りながら、「お父さん、新聞を読んで😊💓」と、音読をして貰ったりしたことがよくありました。そこで分からないことがあったりすると、「その略語は何?」「それはどういうこと?」などと質問して、その説明を受けては、「エ~そうなんだ~」「じゃあ~次のページをお願いします❤」などと、楽しく新聞を読んで貰ったりしていたのです。(笑)
そうした生活を送るなかで、私は義父に対しての思いが、威厳があって、今まで頑張ってきて、何でもよく知っていて親切でやさしい人、と思うようになってきたのです。
そんな義父に対しての呼び方は、子供が生まれた後もそれまでと同じように、私からは「お父さん」
両親にとって孫となる子供が生まれた後も、私は今までと同じように「お父さん」「お母さん」と呼んでいました。
そうした思いは、実家の両親に対しても、まったく同じです。
このような状況をお話ししただけでも、私が義理の父母を「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ばないで、「お父さん」「お母さん」と呼んでいたことが、少しはお分かりいただけたのではないでしょうか?
ある日、私が「お父さん」や「お母さん」と読んでいることがとても喜ばれていることを知った、こんなエピソードがあります。(^_^)
それは、義父がまだ元気だった頃、偶然ホームセンターの買い物中に義父に会った(見つけた)ことがあり、私は遠くから手を振りながら、「お父さ~ん!」「お父さ~ん!」と大きな声で呼びました。(笑)
義父は驚いた様子でしたが、「何や! まさちゃんか😊💓」と、とても嬉しそう。お互いのカゴを見せ合っては、二人で買い物をして帰ったことがありました。\(^o^)/
その日の夕食の時、義父がtoshiに、「今日、ホームセンターで買い物をしていたら、まさちゃんが遠くから手を振りながら『お父さ~ん!』と呼んだんだぞ!😂」「どの家でも、孫が生まれたら『おじいさん』『おばあさん』になるのが普通なのになぁ~」と、嬉しそうに話されたことがあったのです。
私は、子どもが生まれても、お父さんやお母さんには敬意を払っていることをtoshiに伝えました。
特に大正・昭和・平成を生き抜いた方々は、少なからず戦争を経験して、ひと言では言い尽くせない貧しさや苦しみ、絶望感を体験していらっしゃいます。
私は、もうそれだけでも、尊敬に値します。
これが、義父はもちろんのこと、認知症になった義母トミスケに対しても、敬意を表して「おばあちゃん」ではなく「お母さん」と呼び続けたワケということです。
母がまだ元気だったある日、toshiに「おばあちゃん」じゃなくて「お母さん」と呼んだら? と話したことがあります。5年ほど前にtoshiがその時のことを書いたブログでも、toshiの気持ちが大きく変わったことが分かります。
「おばあちゃんからお母さんへ」(2016年1月26日更新)
もう一つ、こちらはmasaが更新したブログを始めた当時のブログで、認知症で入所されたお母様への面会に来られる息子さんとのやり取りを書いたものです。今回のストーリーのように、お母様への思い、気持ちの持ち方で、微笑ましい面会に変わった様子を書いています。
「ハッピー? ハッピー!」(2009年8月7日更新)
ぜひご覧ください。\(^o^)/
私たちは、知らず知らずの内に発している言葉や態度によって、親から受けた『無償の愛』や『恩』などの大切なものを見失い、忘れてしまったように感じることがあります。
呼び方を変えるだけで、産み育ててくれた親のことや大切な思い出が蘇ることがあります。そのことによって、目の前の介護は、全く違う感情に変わっていくように思います。
そのことが、まさしく、ハッピー介護ですね。\(^o^)/
お読みいただき、ありがとうございます。masaで~す。
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追伸で~す。トッシーです。
今回のmasaの記事、いかがでしたか?
文中では私のことをtoshiと書いています。これは、ブログを始めた頃がtoshiでしたので、toshi&masaのブログとして書いていました。その後定年退職してすぐに笑いヨガを始めたのですが、そこには「トシ」さんがおられることがわかり、それ以来トッシーになり、〝笑いヨガのトッシー〟「トッシーのハッピー介護」として活動して来たものです。ちなみに今日の写真は、「ハッピー介護講演会」で使用しているパワーポイントのスライドです。
今回のmasaの話は、まだtoshiと呼んでいた頃だったということで、tishiと書いています。
現在は何と呼び合っているのか? となると、トッシーだったり、toshiさんだったり・・。
自分で書く時も、トッシーだったりtoshiだったりでゴチャゴチャで~す(笑)。
今日もありがとうございま~す。トッシー、toshi?
いよいよ岐阜県でも、2回目の緊急事態宣言が発令されました。
このことで大きな影響を受ける方も多いことを考えると、う~ん、大変だなぁ~・・・。
今の私が外出するのは、食料品などの生活必需品の購入と、医療機関へ行くことだけ。
おまけにこの寒い中、言われなくても外出自粛の優等生のようです。
そんな新しい生活様式を強いられる令和3年1月になって、もっぱら増えたのが、ZOOMの利用。
とは言え、まだまだ覚えることが多く、今も勉強テスト中。
そんな段階でもハッキリわかったのが、お互いの顔を見ながら話ができる有難さ、楽しさ。
そして確信したことが、人は一人で生きるに非ず。人と人が触れ合って生きることが如何に大切なことか、心身共に有効なことであるのか、ということでした。
分かっちゃいるけど、改めて強く感じた次第です。
そんなコロナ禍だからこそ実現しているのが、妻のmasaしか書けない、「我が家の泣き笑いストーリー」未公開分の執筆です。
「ゴキブリ団子、スプーンで完食!」
「『おばあちゃん』ではなく『お母さん』と呼ぶワケ」
この2つを、最近更新することができました。
「我が家の泣き笑いストーリー」がまだ残っている・・・と分かって以来、ずっとお願いしてきましたが、忙しいmasaとしてはなかなか実現できなかったことなのです。
今年は丑年、私は年男。(笑)
そのお蔭ではないでしょうが、新作2話が実現でき、masaには、感謝、感謝ですね。
新作の3話目となる、我が家の泣き笑いストーリー「育たないパプリカ」が、いよいよ次回には更新できそうです。
また、覗いていただければ嬉しいです。
今日もありがとうございます。トッシー

未公開分3話目の今回は、野菜作りに熱心だった母だけあって、さすがは昔取った杵柄。認知症になった今でも家族の役に立ちたい強い思いがあるよう・・・?
ということで、今回の〝我が家の泣き笑いストーリーは、私が育てているパプリカが〝なぜか育たない〟という、これまたちょっと笑えるお話です。\(^o^)/
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我が家の泣き笑いストーリー
第22話 育たないパプリカ
ある日、職場でパプリカの話で盛り上がりました。😊💓
今までは、ピザ・ピクルス・サラダなどにほんの少しだけ使っていたパプリカでしたが、ナント! アンチエイジングに効果があるらしい・・・。そんな話に花が咲きます。
パプリカの色の鮮やかさは、「カロテノイド」と呼ばれる色素が多く含まれているからで、体の老化を食い止める抗酸化作用や燃焼力アップなどが期待できる、美容にもうれしい成分であるとのこと。
そんなこともあってか、若々しさをサポートするパプリカのパワーが、みんなの話題になったのです。😂
「カロテノイド」は緑黄色野菜に多いことで知られていますが、とりわけパプリカには豊富なことが分かってきた、という話でした。😊💓
友人から、「パプリカはピーマンと比べると作るのが難しくてね、収穫までには時間がかかるのでしっかり面倒をみないといけないわよ。しかし、難しいだけあって収穫した時は嬉しいものよ😊💓」と言われ、ワクワクしながら苗を買って、日当たりのいい畑で一番目立つ場所に植えました。😆
ようし、これでOK!
毎日水やりをしっかりして支柱を立てたり、カラフルな色のパプリカをイメージしながら、まさに手塩にかけて育てていました。😊💓
そして、丸々としたまだ緑色のパプリカが、いっぱいいっぱいなりました~!\(^o^)/
ピーマンとパプリカの違いは収穫時期にあり、ピーマンは1ヶ月もすれば収穫できますが、パプリカは完熟させてから収穫するのでもっと長く、2ヶ月半くらいかかります。
私が手塩にかけて育てたパプリカは、ピーマンの3~4倍ほどの大きさに成長して、あとは完熟してカラフルな色に変色するのを待つばかりとなっていました。
そんなある日、母が丸々と太った大きなパプリカを手に持ってニコニコと、
「まさちゃん😆、大きなピーマンがなっとったよ!」
「こんなのが、ホレッ!」
と、艶やかな緑色のパプリカを持ってきて、嬉しそうに見せてくれたのです。😱
私は一瞬、自分の目を疑いました。
・・・・・・!
ガーン!( ̄□ ̄;)!! 母はまた、
「まさちゃん、ピーマンはこんなに大きくしたら木が弱くなるであかんよ! もっと早く採らんとあかんよ!」と・・・。
私はあまりのショックで言葉も出ませんでしたが、母と一緒に畑へ行き、パプリカが一番目立つ場所で、
「お母さん。これはね、ピーマンじゃなくて、パプリカというとても栄養のある野菜だからね。もう少しすると黄色や赤色やオレンジ色に変わるので、それまで採ってはいけないからね😊」と説明しました。
すると母は、
「え~ホ~カ~」
「誰が採ったんやろう?」
「お母さんがピーマンだと思って、取ってくれたんだよ」
「え~ホ~カ~」(笑)
「誰があ~?」(笑)
「・・・・・・」
こんな会話をしてからも、母は毎日毎日嬉しそうに採り続け、太ったピーマンたちが徐々になくなっていったのです。(笑)😱
このままではイケナイ。何とかしなければ・・・。
そこで、パプリカは完熟すると甘みが増すため、害虫から守るために防虫ネットなどをかけるのですが、私のパプリカは完熟する前に収穫されてしまうため、袋には「まだ採ってはダメですよ~!」と大きく書いてパプリカに被せることにしたのです。
ナント! 早く採られないための、『トミスケ早採り対策ぶくろ』の登場です。(笑)
しかし、その甲斐もなく、私のパプリカは育たないまま、とうとう全滅。(笑)😱
カラフルなパプリカを楽しみにしていた私には、これはとても大きなショックとなりました。
でも、パプリカの栽培を教えてくれた友人は、そんな私から『育たないパプリカ』の話し聴くのを毎日楽しみにしていたようで、「それで昨日はどうだった?」と聞いては、私の話しに大笑いしてくれていたのです。(笑)
育たないパプリカにも、人を楽しませるお役目がちゃんとあったのですね。(笑)
さすがはお百姓さんのトミスケ!
え~、ホ~カ~!
誰があ~?
ですね。(笑)
「育たないパプリカ」から学んだこと
一番目立ついい場所に苗を植えたことが、まさかこんな結果を生むとは思いもしませんでしたが、その他にもこんなことを学んだように思います。
◎認知症になる前は夫婦でお百姓をしていたこともあって、母は少しでも野菜の世話をしたり収穫をしたりして、私たちを助けたい!という気持ちがあったこと。これは感謝ですね。
◎我が家で作るパプリカは、簡単に収穫されるような目立つ場所で作ってはいけないこと。
◎パプリカのように長い間育てて完熟させる野菜は、我が家では難しいかな? ということ。(笑)
今から思えば、こんな母との生活で立派に育てられたのは、実はこのmasaでした~。(笑)
(2021年1月15日更新)masa
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母が他界して10年経った今でも、私はスーパーでパプリカを見る度、我が家で栽培した『育たないパプリカ』のことを思い出して、つい笑ってしまいます。
我が家の泣き笑いストーリー、「育たないパプリカ」、いかがでしたか?
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。😊💕 masa
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今日の写真はパプリカではありませんが、母トミスケと妻のmasaが畑仕事を頑張っている懐かしい写真ですね~。