見方のフィルターを変える

母が毎日家の中を散らかしていた当時、それはそれは困ったことで、とても気分のいいものではありませんでした。このことは普通に理解されることでしょう。それが、「トイレにねぎ」に出会って、母が毎日部屋を散らかしていたのは、実は「母のお仕事」なんだと見方が変わって以降、そんな母の散らかしは私の大きな喜び・楽しみに変わったのです。このことは、とても理解される事ではないかもしれませんね(笑)。でも事実です。
困ったことや気分の良くないことが、信じられほどの大きな楽しみに変わったのは何故でしょう? それは、私の母の散らかしを見る「フィルター」が変わったということにほかなりません。だって、母はいつもの散らかしを続けていただけで、何も変わっていないんですから。
どんな「フィルター」で見るかによってこんなにも違うんですね。楽しくなる「フィルター」で見るか、困ったと思う「フィルター」で見るか・・・。すべては自分で選択できる、自分の見方次第なんですね。
今日はそんなお話です。

「ポジティブの教科書」P63より
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ある人が「僕はダメな人間だ」と言いました。また、同じ人が「僕は素晴らしい人間だ」と言いました。
どちらも正解です。だって、「ダメな人」という「フィルター」で見れば、誰だってダメな部分があります。素晴らしいフィルターで見れば、どんな人間だって、素晴らしい面が見つかります。また、「ダメな人」と言い続けると、少しでも失敗すると「ほらね、だからダメなんだよ」となります。でも、少しくらい失敗したとしても「僕は素晴らしい人間だ」と言い続けていたら、「ほらね、だから素晴らしい」となって、新しい個性となっていくわけです。どんなことも、見方やとらえ方は色々あって、ある意味でフラットな状態なのですから、自分で好きなレッテルを貼ればいいんです。

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出典:武田双雲著「ポジティブの教科書」(主婦の友社)